三笠山(御蓋山)

春日(かすが)にまゐりたりけるに、常よりも月あかくて、あはれなりければ

※春日=大和国(奈良県)春日神社。

(407)ふりさけし人の心ぞ知られぬる今宵三笠の月をながめて(西行)

※春日神社にお参りし、三笠の山に出た月を眺めた今宵、初めて分ったことだよ。「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」と詠じた古人(阿部仲麻呂)の心が。

DSCN4779 ▲「謡い」も「大仏供養」に入っている。「・・・・三笠の森の影頼む。・・・」と謡いながら、大学生の頃を思い出していた。大学は奈良市高畑(たかばたけ)町にあったので、春日大社は、つい御近所だった。この辺りはよく知っているつもりだったが、自分の認識している三笠山(みかさやま・御蓋山)と実際の三笠山の位置がだいぶずれていた。▲三笠山とは、春日奥山ドライブウェイにある「三笠山温泉郷」の辺りの山だと思っていた。なだらかな「若草山」は、江戸時代、「三笠山」と言ってたようで、ちょっとややこしい。

▲大学生の時は、当時、奈良で1,2を争う会社の社長の息子の家庭教師をしていた。・・が、わけありで、御主人の社長さんは月1回ぐらいしか家にはこなかった。教え子のT君は好奇心いっぱいの中学生で、二人があの最中の時、しきりと襖をあけようとして、あかないと・・どんどんとたたぎだして・・・。そうしたら、しどけない格好をした二人が出てきて・・。その時は、私は、笑いをこらえるのがせいいっぱいで。そうした行為は当然といえば当然なのだが、人があわてている横で笑いをかみ殺しているのは・・、ちょっと上品ではないというか?天に唾棄する行為というか・・?。▲報いはすぐにやってきた。次に御主人がやってきたその日、玄関先にハイヤーが止まった。T君と私は、あの最中、「春日奥山ドライブウェー」をドライブすることになった。「ぼっちゃん達、鶯の滝ですよ」という運転手さんの声もうつろに聞こえた。

■すみれー第68話・報いー   第一部、今日で終了です。第二部は、来年一月からはじまります。

成人は、山門の横手の細い道を歩いて行った。母と義人の墓にぬかずき手を合わせて、しばらくの間ここに佇んだ。振り返ると、岡崎の町並みが眼前にせまっていた。神楽岡通に出て自宅に戻ったころには、もう夕暮がせまっていた。書斎に入って、「山家集」をひもといた。

なべてなきくろきほむらの苦しみはよるのおもひの報いなるべし(西行)

<よるのおもひ?> <ほむらのくるしみ?> 愛欲におののく西行の姿が、自分の姿とかさなった。成人は、窓を開けた。<また、紅い夏が来る。> 一人、つぶやいた。

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江口・江口君堂

作者:観阿弥

まだ、津の国天王寺(大阪四天王寺)に参ったことのない旅の僧。思い立って京都伏見の淀川から夜遅く、舟で下った。高槻の鵜殿あたりまで下ると蘆の原がほの明かりに見えてきた。江口の里に着いたのだ。

神崎川が淀川から分かれる河口。現在の大阪市東淀川区南江口あたり。阪急上新庄駅に近い。瀬戸内から難波への舟旅はこの江口で降り、京の都へはさらに舟で淀川を上がる。水上交通の要(かなめ)として繁栄したところだ。吹田市と大阪市は隣接しているので、自宅から自転車で25分ぐらいで着くことができる。新興のマンション、小さな店舗などごちゃごちゃした所の奥に寺がある。現在、日蓮宗寂光寺と言い、尼寺である。旅の僧は江口の宿場の女主人、江口の君の旧跡を訪ねようと所の者に案内を乞うのだった。江口の君とは、船着場の遊女たちの長のこと。その身はすでに土中に埋もれ、名前のみが残る。旅の僧は思い出した。その昔、西行法師江口の君の和歌のやりとりがあった。

雨に降り込められた西行が一夜の宿を断られたのだ。

(752)世の中を厭ふまでこそかたからめ仮りの宿りを惜しむ君かな(新古今和歌集・山家集)

(この世の宿りを捨てて仮の宿と達観するのは難しいだろうが、一夜の宿すら惜しんで許してくれないとは...)

旅の僧が昔を偲んでいると、幕の中から里の女が呼びかけて登場する。なぜ、その和歌をお歌いなさるのですか.....と。女は宿を貸さなかった本当の意味を述べたくて現われたのだと語り、西行法師への返歌を歌う。

世を厭ふ人とし聞けば仮の宿に心留むなと思ふばかりぞ(753「家を出づる人とし聞けば仮の宿心とむなと思ふばかりぞ」)

(出家の身でおられるのですから、遊女の宿などに心をおとめになってはいけません。こう、おいさめ申しただけなのですよ)

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弱法師(よろぼうし)

作者:観世十郎元雅 DSCN2950                             

通俊は、いまは目の前の青年がわが子・俊徳丸と知った。けれど、子は父とは知らない。「やあいかに日想観を拝み給へ」高安の言葉に、俊徳丸は掲幕の方に向き、心に映る落日を祈って合掌する。「弱法師」のクライマックスである。蜷川幸雄の活躍がすさまじい。三島由紀夫の、を題材とした「近代能楽集」より「弱法師・よろぼし」の演出。主演、藤原竜也、夏木マリ他。舞台は四天王寺(天王寺)。

日想観は、観無量寿経にある修行の法のひとつ。西方に向かって日没を見て極楽浄土を観想することである。清純な俊徳丸の目には、幼いころにみた難波の浦々の清らかな情景が映じ、無念夢想の心境でイロエを舞う。

やがて父子の名乗り。夢に見た再会。二人は高安の里に向かう。留拍子が踏まれたあとの、弱法師の姿には、なぜか孤愁の影が色濃く残る。彼には、すでに世の、無常が見えていたせいか。目が見えなくなるほどの悲しみをうけながら、その父と帰る幕切れ。三島由紀夫は「近代能楽集」で、俊徳丸に「僕はたしかにこの世のをはりを見た」と悪夢を語らせている。

闇夜に白く浮かび上がる現代的な仁王様は、四天王寺近くにある「一心寺」。法然上人が1185(寿永4)年の春、四天王寺西門の西側あたり、古来「荒陵・あらはか」とよばれてきた茶臼山付近に4間四方の草庵を結んだのに始まる。後白河法皇の御幸もあり、「荒陵の新別所」と称され、西方に沈みゆく太陽にむかって念仏を唱え、極楽往生を願うという観無量寿経に説かれている「日想感」の修行も行われてきた。

DSCN2768 四天王寺の辺りは昔とはだいぶかわってきており、今、大阪の夕陽の名所といえば人工島の舞洲なのだが、中之島(リーガ・ロイヤル)辺りの夕陽も綺麗だと思う。

■さよなら・思い出橋[第5話]-港ー

萌は家に戻った。案の定、萌の母親は機嫌が悪かった。

「萌、なにしとるん。ぶらぶらして。みんな、浜で働らいとるちゅうのに..」言い終わらないうちに、萌は二階へ駈けあがってしまった。下で罵声が聞こえてきたが、萌は耳をふさいで、聞こえないふりをした。

いくときか時間がたち、窓越しに船が港に入ってくるのを、萌はぼんやりと見ていた。

          

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現代彫刻展

現代彫刻展」が、町内の「メイシアター・吹田市文化会館」で開催されている。今は、夜の7時でも明るい。帰宅途上に立ち寄ってみた。DSCN4226 DSCN4230

1階のロビーに展示されていた。

DSCN4231 DSCN4232 DSCN4234 DSCN4235               ←屋上で展示されていた。DSCN4236

4階の屋上庭園から、メロードのビルが見えた。手前は、アサヒ・ビールの工場。 隣の写真が、我が家の遊行柳。正月の飾DSCN4238りが終わって、土に差しておいてだけなのに、大きく育った。切っても切っても伸びてくる。                         DSCN4240

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松虫・住吉大社

DSCN4199 雨。大阪で唯一のチンチン電車である阪堺(はんかい)電軌上町線に乗った。「松虫塚」は、松虫駅下車3分の所にあった。

松虫/松虫塚

 DSCN4191               作者 金春禅竹

不思議な世界である。能の、多くの番数のなかでも、類曲はほとんど見当たらない。大和から難波に出てきたのも二人一緒なら、春は花、秋は紅葉、と風流心もひとつにした男友達。どうしたことか、ある日、ひとりが松虫の声に惹かれて追い、そのまま死んでしまう。悲嘆にくれた友も自ら後を追って果てる。

若く、美貌の二人。どう見ても、男同士の同性愛が主題に思える。友を思う切々たる哀情が茫々とした雰囲気のなかで展開され、あやしい叙情を含んだ曲だ。曲想は「古今和歌集」に「松虫の音に友をしのびて」との序がある「秋の野に人松虫の声すなり我がといきていざとぶらはむ」という読み人知らずの歌によった説がある。

雨月    住吉大社

 DSCN4202             作者 金春禅竹

一説に、曲想は「撰集抄」と「古今著聞集」による。

DSCN4203 「撰集抄」は西行の逸話を集めた書で、「江口桂木ノ尼連歌ノ事」に、西行が江口の里で宿を借りたとき、尼が伏屋の雨漏りを防ぐのをみて「賎が伏屋を葺きぞわずらふ」と詠むと、尼がすかさず上の句「月は漏れ雨は溜まれと思ふには」とつけたとある。「古今著聞集」は、住吉大社の創建を記した巻五の「住吉社ノ由来ノ事」。この二つの逸話を前後に配して、夢幻物に構成したのが、この「雨月」だ。月光か時雨の音かー風流心の相違を巡る夫婦の論争、西行の機転のきいた連歌、そして歌の神の住吉明神を登場させて展開する歌論。稀曲といわれるけれど、典雅で、悠々と神さびた展開である。舞台には軒の端が欠けた大板屋が正面大小前に据えられる。引き回しがかかり、なかにシテの里の老人とツレの姥がいる。

次第の囃子で、ワキの西行法師が塗り笠で登場。西行は住吉大社に前から願をかけていたこともあって、嵯峨野の住まいを出立した。浦伝いに住吉に着き、あちこち巡るうち日は落ちた。見れば、境内の釣殿あたりにあかりのついた板屋がある。西行は一夜の宿を頼む。家の老人は「見苦しい庵で」と断るが横から姥が、「これはご出家、まぁお入りを」と遮って、西行に語るのだった。    

DSCN4211  「それにしても秋になれば、私たちのひとりは月を見たいといい、ひとりは雨の音を聞きたいと期待して、二人の心が一致しないまま、思い思いに軒端の半分を葺き、半分を破れのままにして住んでいるんですよ。あなたは、どちらにお泊りになされます」

「なるほど、雨の趣と月の眺めとどちらが勝るか、争っておられるのですね。で、どちらが雨で、どちらが月なんですか」そのうち老人は「賎が軒は端を葺きて煩ふ」と和歌の下の句を詠んで、「どうでしょう。上の句をつけていただけば、あなたをお泊めしましょう」

西行は「月は濡れ雨はたまれととにかくに」と詠むと、老人はその風流心に感嘆して西行を 泊める。 DSCN4205 DSCN4210 はて、どれだけの時間がたっただろう。眠った西行の枕元に現れたのは、後シテの住吉の宮守。一の松に立って先の歌を褒め、「和歌は陰陽二つの道を守る。句を57577の五つに分けているのは五行を表し、木火DSCN4207 土金水でもある。上句と下句は天地を示し、天地人の三才、宇宙の森羅万象のすべてが詠歌である」と語り、さらに自分こそは住吉明神の神託を申すもので、和歌の友である西行の宿願を聞き入れ、「謹上、再拝」と御幣を振り、常座にいって真ノ序の舞を舞うのだった。住吉大社は、仁徳天皇のとき、海神の底筒男命、中筒男命、表筒男命の三住吉大神を勧請したのが創建。のち神攻皇后を祭神に加えて四座からなっている。摂津随一の宮として聞こえが高く、平安時代には航海の安全を守る神として信仰を集めた。「源氏物語」には「澪標・みおつくし」に、登場する。この神が和歌の神として崇められるようになったのはなぜか、よくわからない。ただ、崇徳天皇の大治三年(1128)、社頭で前和泉守道経の歌合せの記録がある。

神社はなにもかもが大きい。石の鳥居も、両側に座した狛犬も。そして参道正面に渡した太鼓橋の反橋が大きな半円を盛り上がらせて、社殿に導く。傍らに巨大な樟(くすのき)が自若と根を張って広がる。四神の社殿は、はるか西海に面して逆三角形に配列する。(京都新聞社編、「能百番を歩く」より)

                                                                      

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朝から雨。京都府美山町に行くつもりだったが、あいにくの雨。しかも、体調もあまりよくない。今日一日、「能」について調べることにした。

「思いに沈む、みぞろ池  生ける甲斐なき憂き身の 消えんほどとや草ふかき市原野辺(いちはらのべ)の露わけて 月おそき夜の鞍馬川」                 (鉄輪・かなわ)より

雨あがる。昼より吹田市立サンクス図書館に行く。「能」関係3冊、「京都」・「奈良」、「遊女と天皇」各1冊借りてくる。

午後3時半ごろ、隣の市である豊中市にある」「西福寺](江戸中期の画家、伊藤若沖の名作「群鶏図」の襖絵がある。)へ行こうとしたが、大雨が降ってきてひき返す。

夜より下をうちこむ。平成17年6月11日(土) 第30回能にしたしむ会,於・京都観世会館

遊行柳(ゆぎょうやなぎ)=能・片山慶次郎、芦野→青柳之舞

 作者 観世小次郎信光、 DSCN4143

三番目物(精霊物)

登場人物=前シテ・尉

後シテ・老柳の精ワキ・遊行上人、ワキツレ・従僧、アイ・所の者

 ←京都観世会館から徒歩8分・、風致地区の祇園の柳                                           

草木国土悉皆成仏(しつかいじょうぶつ)。人のみならず無情な草木でさえも念仏を授かって成仏するという曲がいくつかある。「遊行柳」もこの仏教思想を主題とした曲である。

典拠は「新古今和歌集」の、西行法師の和歌に基づいて、遊行19世尊皓上人の逸話「藤沢智寰(ちかん)覚書」を結びつけて構成している。文明3年(1471)。上人が白河関に近い芦野で修行していたときであった。老人と化した柳の古木の精が現れ、上人の御法の声を聞いて成仏したというのだ。

老木の精を扱った、よく似た曲に世阿弥作の「西行桜」がある。「遊行柳」は、「舟弁慶」などを作った、観世小次郎信光が、世阿弥にならって、当時、京にも伝播していた遊行上人逸話に曲想を得て、幽玄に溢れた夢幻能に仕上げた。

遊行上人は従僧を伴なって上総に向かっていた。遊行上人は、時宗の根本道場総本山清浄光寺(藤沢市)の宗主で、開祖一遍上人以来歴代が諸国を遊行して念仏教化を行ったことから、その名で呼ばれた。

上人が白河関を越えたころには、秋風が吹いていた。いつの間にか、日も暮れた。一夜の宿りを求めて分かれ道を新道に行こうとしたときだった。「ちょっとお話がございます」遠く(幕中)から、声がする。往来の御札でも所望なのかと、上人が聞くと、声の主がいうには、「先年も遊行の僧がお通りになり、昔の古道を通りなされた。それをお教えするためにここまできたのです」見れば、ひとりの老人。誘われるままについていくと、老人は森の傍らを流れる川岸の柳を「朽木(くちき)の柳」と教える。

柳は見るからに老いた姿で、蔦葛が這い、苔むしている。「名木とおっしゃるけど、いつころそういわれているのですか」上人の問いに老人は「昔、西行法師が、暑い夏の最中にここを通られて、この川岸の柳陰に立ち寄り、和歌を一首詠まれた、懐かしい木なんです」と。

道のべに清水流るる柳陰      

しばしとてこそ立ち留まりつれ

(道のほとりに清水が流れている。そばの柳の陰でちょっと休むつもりだったのにあまりの涼しさについ時を過ごしてしまった)やがて老人は、上人から念仏を授かり合掌するや、ふいと柳の塚(作物)に消えてしまう。

上人は夜もすがら読誦と、柳の塚から、声がしてこつ然と姿を見せたのは、白髪の老人。面は「舞尉」。臈(ろう)たけた姿で、頭には柳寂びた烏帽子をつけている。驚いたのは上人。不審顔でいると、白髪の老人は先に道を教えた老人で「実は柳の精なのです」と。そして上人の十念を授かった草木さえも成仏できると喜び、清水寺の楊柳観音はじめ、柳にちなむ和漢の故事を語る。やがて上人への報謝の舞いを弱々と、しかし確かな足どりで舞い、消える。上人が夢から覚めると、老人とみた柳は音もなく、緑の葉をそよがせているだけであった。

ゆかりの柳は、旧奥羽街道の宿場町那須町芦野の町はずれ。JR東北本線黒田原駅から東南に向かうと、広がる水田のなかにピラミッドのような山がある。町の人々から火伏せの信仰を集める鏡山で、その山を背負うようにした湯泉神社の参道に向かい合って、ひょろりと立った二本の柳が、それである。左手の柳の前には芭蕉の「田一枚植えて立ち去る柳かな」の句碑、右の柳の前には、西行の「道のべに.....」の歌碑が建っている。足元を流れる清水。広々とした田の遠くで鳴る風。二つの句歌に詠まれた情景は、いまも偲ぶことができる。

奥州街道を白河関に通じる古くからの宿場であったここには、陸奥に旅する人々が、西行の、芭蕉の、足跡を、求めて立ち寄った。(能百番を歩くー京都新聞社編ー) 

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7月17日(日)の予定

7月17日(日) 午前9時30分始曲

場所:京都観世会館

故 松野良輝師7回忌追善 「吟輝社大会」

午前:「忠度」、「隅田川」「弱法師(よろほうし)」他

午後: 「道成寺」「江口」「葛城」「定家」「吉野夫人」他

入場無料

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