大阪のなかの沖縄
夕方になると 煙が立ち昇っていた 包丁の音がして ご飯の時間を知らせる 子どもは走って帰る 鼻をたらしながら おっちゃんおばちゃんの声が響く 真っ赤な夕陽が 今日も沈む 商店街の見える街 (作詞:のもとある)
平尾本通商店街=JR大正駅からバスで10分。駅から離れた場所に、突然現われる商店街。なぜか?沖縄の匂いがほんのりとする。
※1015 すみれ咲く横野の茅花(つばな)咲きぬれば思ひ思ひに人通ふなり(西行法師)
すみれが咲く横野の茅花が咲いたので、すみれを見ようとする人、茅花の穂を摘もうとする人、それぞれ思い思いに通うようである。
←横野=大阪市生野区巽、大阪市生野区南巽3丁目=「巽神社」の辺り?らしい。市街地になっていてほとんどわからなくなっている。中河内郡という説もある。訂正→紫草の根延(ねば)ふ横野の春野には君をかけつつうぐいす鳴くも(作者不詳、万葉集、巻10・1825) 紫草が根を延ばす横野が、春の野面になると、あの人を心にかけるかのように鶯が鳴きつづける。
「紫草」はその根から紫色の染料をとった。紫色は古代、高貴な色として珍重されていた。白い可憐な花を咲かせる。「横野」は紫草の根が太くまっすぐに長く延びることからいうとも、細長い野の意であるともいう。地名とすると巽(たつみ)西の※横野神社跡付近になる。地下鉄千日前線南巽駅の構内には「巽史跡案内図」があり、横野神社跡の碑の場所も載っている。駅を出て西に歩き、城東運河を越えて北に行くと朝鮮中級学校。チマチョゴリの制服を着た女学生が自転車で行き過ぎた。学校の西、マンションの一角にフェンスに囲まれた横野神社跡の大きな碑があり、その横に万葉歌碑が建つ。マンションの住人の方が「説明板が横にありますよ」とにこにこしながら教えてくれた。
▲横野神社跡=横野神社の祭神は第11代垂仁天皇の第二皇子、印色入日子命(いにしきいりひこのみこと)。明治40年(1907)、巽神社に合祀された。仁徳13年(325)冬、「横野堤」を築いた記録があり、横野神社跡付近のことという。(万葉を歩く・大阪の恋歌、東方出版、大川貴代より)
■さよなら・思いで橋ー第15話・すててこー
※訂正=南悠一→南鉄治、キャバレー・メトロ=キャバレー・すててこ
風鈴がちりんと一風鳴って、いくぶん暑さがましになった頃、鉄は萌に、「ほなら、ぼちぼち行こか?」。
「鉄ちゃんのお店って、なんちゅう店?」「なんちゅう店って?、店の名前か?」「そうや」「それやったら、{すててこ}や!」「{すててこ}?」萌はすっとんきょうな声をだした。「なんや、けったいな声だして?」「だって、変な名前なんですもの。前にちょっとだけ、お店のこと聞いたけど、さっぱり分らなくて....」「今から行くからええやん。行ったらわかるさかい..」「お酒はだすんでしょう?」「まあな。料理もな。あんまり、たいそうな料理は出ぇーへんけどな」「たいそうな料理って?..」「..ほら、着いたがな」「へぇー、ここ」
なんの変哲もない日本家屋が萌の目の前にあった。
| 固定リンク | コメント (1) | トラックバック (0)


最近のコメント