高野にこもりたるころ、草のいほりに花の散り積みければ、/ 散る花のいほりの上を吹くならば風入るまじくめぐりかこはむ(西行)
秋の末に寂然、高野にまゐりて、暮の秋によせて思ひをのべけるに/ なれきにし都もうとくなりはててかなしさ添ふる秋の山里(西行)
→鋳造へむけて/ 法然と重源/ 大仏が焼かれたときに、重源は高野山にいたらしいが、その評判は「入唐三度聖人」として広く伝わっていたことであろう。重源を後援していた源師行は、造大仏長官藤原行隆の父顕時と同じく鳥羽院や美福門院に仕えており、その子有房は平氏や後白河法皇の近臣であった。さらに正月に出家した『高野山往生伝』の著者民部卿資長がやがて高野山を訪ねていることを考えると、資長も重源の存在を早くから知っていたとみられる。
■萩・・・昨日の毎日新聞・夕刊に、「高円の野辺の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人なしに 笠朝臣金村歌集(巻2-231)」が掲載されていた。この歌にある「高円・たかまどの野辺」は、母校「奈良教育大学」から徒歩10分の「白毫寺・びゃくごうじ」辺りである。心理学の同窓会組織の名称は、「高円会」で、大学と高円山との関係は深い。白毫寺は「五弁の椿」でも有名なのだが、萩の寺としても有名である。近くにある「新薬師寺」も萩の寺として有名である。最近、新薬師寺の伽藍跡が奈良教育大学の敷地内から発見された。当時は、東大寺と同じ規模だったらしい。 萩の花は地味だが、万葉集、古今集、新古今集の花の中で一番多く歌われている。風に揺れる萩の花は風情がある。
■ソフトボール大会(大阪府立障がい児学校教職員組合・青年部主催、会場:堺聴覚支援学校)→能楽囃子塾(浜屋敷/ギャラリー兼音楽室)=(能)太鼓全般の説明があった。発表会は、能「西王母」の最後の部分を演奏するという・・。
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