« 2009年9月6日 - 2009年9月12日 | トップページ | 2009年9月20日 - 2009年9月26日 »

重源と西行⑭

高野にこもりたるころ、草のいほりに花の散り積みければ、/ 散る花のいほりの上を吹くならば風入るまじくめぐりかこはむ(西行)

秋の末に寂然、高野にまゐりて、暮の秋によせて思ひをのべけるに/ なれきにし都もうとくなりはててかなしさ添ふる秋の山里(西行)

→また法然は皇円に師事しただけでなく、資隆の子の隆寛を後に弟子になしているという関係にもあった。こうして重源と法然とは皇円を介して面識があったかもしれないのである。

■牛窓ヨット講習会、2日目。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

重源と西行⑬

高野にこもりたるころ、草のいほりに花の散り積みければ、/ 散る花のいほりの上を吹くならば風入るまじくめぐりかこはむ(西行)

秋の末に寂然、高野にまゐりて、暮の秋によせて思ひをのべけるに/ なれきにし都もうとくなりはててかなしさ添ふる秋の山里(西行)

→皇円は肥後(ひご)阿闍梨と称していたが、父は斎院長官の藤原重兼、兄は肥後守資隆(すけたか)であった。重源が醍醐寺で結縁した慈心院塔は、この皇円の父重兼の墓の上に建てられ、資隆や阿闍梨覚敬(かくきょう、覚鏡)らがこれを構えたものである(『醍醐雑事記』)。おそらく皇円もこれに関係していたであろうから。皇円は重源をよく知っていたに違いない。

■今日午後1時30分、メイシアター前に集合して、牛窓(岡山県)にヨット講習会へ行く予定。予定だから、またどたばたがあるかもしれない。

■昨日、日本の人名に関する番組が放映された。西行の出家前の佐藤もとりあげられていた。佐藤は、現在、日本で一番多い姓だそうだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

重源と西行⑫

高野にこもりたるころ、草のいほりに花の散り積みければ、/ 散る花のいほりの上を吹くならば風入るまじくめぐりかこはむ(西行)

秋の末に寂然、高野にまゐりて、暮の秋によせて思ひをのべけるに/ なれきにし都もうとくなりはててかなしさ添ふる秋の山里(西行)

→すでに見たように長承二年(1133)に法然は美作(みまさか)国の久米南条稲岡庄の押領使漆間時国と秦氏との間に生まれた。ところが父時国は稲岡庄の預所の明石定明と争って、保延七年(1141)に夜討にあい、父の遺言によって出家したのである。近くにある菩提寺の観覚に入室した後、久安三年(1147)に京に上って比叡山の源光の紹介で皇円阿闍梨に師事し、そこで出家を遂げたという。もし重源と法然の接点があったとすれば、この皇円を介してあった可能性がある。

■祭囃子が聞こえるー3部、第4話・芸能社ー

良一は村会議員の仕事のかたわら、芸能社をたちあげた。浪曲師が大半だった。

「妻は夫に従いつ・・・」「だめだめ、声の出し方がなっとらん!」、良一の激がとんだ。芸能社の別室は、練習場でもあった。

■台風・・・台風が近づいてきた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

重源と西行⑪

高野にこもりたるころ、草のいほりに花の散り積みければ、/ 散る花のいほりの上を吹くならば風入るまじくめぐりかこはむ(西行)

秋の末に寂然、高野にまゐりて、暮の秋によせて思ひをのべけるに/ なれきにし都もうとくなりはててかなしさ添ふる秋の山里(西行)

→法然の場合には、選ばれたものの、念仏勧進に専念すると称して重源を推薦したことから、重源が起用されたという伝がみえる。しかし法然はそれほど当時において知られた存在だったのであろうか。重源のように勧進を行い大仏造営を推進するだけの組織力があったのであろうか。法然の伝記がいずれも後年のものであるだけに素直には信じられず、疑問である。そこで最初に法然と重源との接点を探り、さらに重源による大仏勧進の実態をみることにしたい。

■昨日自転車を置いてラーメン店に行ったので、30分早く家を出なければならない。今日は、団体演技の学習はない。団体競技(くりひろいゴーゴー!)、開閉式・応援の練習などがある。団体競技では、終了の合図として、エイサー太鼓をたたく。→いつもより30分早く家を出た。地下鉄・御堂筋線で人身事故ありとの放送。しばらく待っていたら、電車が来た。再開かと思いきや、なにやらのろのろ運転。とうとう新大阪駅で止まってしまった。いつ再開されるかわからないので、JRに乗り換えて職場へきた。大阪駅ー環状線ー天王寺ー阪和線ー上野芝駅。いつもの倍以上の時間がかかって、遅刻。以前、吹田健康展で、「吹田保健所です。後ろのパネル見てください」。年間、3万人以上の自殺者ありと書いてあった。いやな世相になってきた。→御堂筋線が止まった原因は、毎日新聞夕刊によると、「吹田市内の女性=27歳。ホーム北端から線路に飛び降りた。女性は足を骨折するなど重傷を負ったが、命に別状はなかった。」。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

重源と西行⑩

高野にこもりたるころ、草のいほりに花の散り積みければ、/ 散る花のいほりの上を吹くならば風入るまじくめぐりかこはむ(西行)

秋の末に寂然、高野にまゐりて、暮の秋によせて思ひをのべけるに/ なれきにし都もうとくなりはててかなしさ添ふる秋の山里(西行)

→最初の南無阿房とあるのは、『仏舎利相承系図(ぶっしゃりそうしょうけいず)』に平清盛から仏舎利を伝えられた観音房が「南無阿」と号しているので、この人物であろうか。それによれば平氏の家人主馬判官盛国(しゅめのほうがんもりくに)の子とあるから、兵士の関係者ということで問題視されたのであろう。鍐阿は盲目の聖であることが選ばれなかった理由であろうか。

■金魚・・夏から飼いはじめた金魚。えらいもので、朝目覚ましがなり私が近づくと、水槽隅で口をぱくぱく。条件反射か? 学習ができている。

■ラーメン・・・ラーメンはあまり好きではないが・・、会議で遅くなったのでお腹がすいた。同僚が、「天下一品・深井店」に行きたいというので、相席した。こってりして、おいしかった。 もう何年も前になるが、「天下一品」が京都にしかない時、友人に「連れていってくれ」と頼まれた。京都・北白川は、ファッションの街だった。ラーメンと北白川とが結びつかず、間違いじゃないかと思った。その後、「天下一品」は大阪へ進出した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

重源と西行⑨

高野にこもりたるころ、草のいほりに花の散り積みければ、/ 散る花のいほりの上を吹くならば風入るまじくめぐりかこはむ(西行)

秋の末に寂然、高野にまゐりて、暮の秋によせて思ひをのべけるに/ なれきにし都もうとくなりはててかなしさ添ふる秋の山里(西行)

→ただ勧進聖人は他にも多くいたはずである。たとえば関寺の勧進を行っていた南無阿房がいたし、高野山には鍐阿がいた。また法然の伝記は東大寺の造営には、最初は法然に交渉があったとしている。そのなかからどうして重源が選ばれたのであろうか。

■祭囃子が聞こえるー3部、第3話・故郷にもどるー

1924年(大正13年)、良一は各務原飛行第二連体を除隊し、故郷大阪に帰った。大阪豊川村の村会議員になるべく準備をすすめた。

1925年(大正14年)、思惑通り豊川村の村会議員に当選した。

■地下鉄の広告をひょいと見ると・・・、「大阪地名の謎と歴史を訪ねて」(和一光司著・kkベストセラーズ)があった。西行法師終焉の地・弘川寺が掲載されている。

ミラノに向かう車中で欠けた歯の治療が、今日終わった。来月の5日に、海洋センターで食事をとっている時取れた下の歯の治療が始まる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

重源と西行⑧

高野にこもりたるころ、草のいほりに花の散り積みければ、/ 散る花のいほりの上を吹くならば風入るまじくめぐりかこはむ(西行)

秋の末に寂然、高野にまゐりて、暮の秋によせて思ひをのべけるに/ なれきにし都もうとくなりはててかなしさ添ふる秋の山里(西行)

鋳造へむけて/ 法然と重源/ 大仏が焼かれたときに、重源は高野山にいたらしいが、その評判は「入唐三度聖人」として広く伝わっていたことであろう。重源を後援していた源師行は、造大仏長官藤原行隆の父顕時と同じく鳥羽院や美福門院に仕えており、その子有房は平氏や後白河法皇の近臣であった。さらに正月に出家した『高野山往生伝』の著者民部卿資長がやがて高野山を訪ねていることを考えると、資長も重源の存在を早くから知っていたとみられる。

■萩・・・昨日の毎日新聞・夕刊に、「高円の野辺の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人なしに 笠朝臣金村歌集(巻2-231)」が掲載されていた。この歌にある「高円・たかまどの野辺」は、母校「奈良教育大学」から徒歩10分の「白毫寺・びゃくごうじ」辺りである。心理学の同窓会組織の名称は、「高円会」で、大学と高円山との関係は深い。白毫寺は「五弁の椿」でも有名なのだが、萩の寺としても有名である。近くにある「新薬師寺」も萩の寺として有名である。最近、新薬師寺の伽藍跡が奈良教育大学の敷地内から発見された。当時は、東大寺と同じ規模だったらしい。 萩の花は地味だが、万葉集、古今集、新古今集の花の中で一番多く歌われている。風に揺れる萩の花は風情がある。

■ソフトボール大会(大阪府立障がい児学校教職員組合・青年部主催、会場:堺聴覚支援学校)→能楽囃子塾(浜屋敷/ギャラリー兼音楽室)=(能)太鼓全般の説明があった。発表会は、能「西王母」の最後の部分を演奏するという・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年9月6日 - 2009年9月12日 | トップページ | 2009年9月20日 - 2009年9月26日 »