重源と西行・57
高野にこもりたるころ、草のいほりに花の散り積みければ、/ 散る花のいほりの上を吹くならば風入るまじくめぐりかこはむ(西行)
秋の末に寂然、高野にまゐりて、暮の秋によせて思ひをのべけるに/ なれきにし都もうとくなりはててかなしさ添ふる秋の山里(西行)
→こうして五月十九日には面部が鋳られることとなった。当日に法皇は出席を望んでいたものの、四月から平氏は総力をあげて北陸道攻めに取り組んでおり、それに向けて平氏の軍勢が畿内一帯に兵士役や兵粮米の徴収を強行したことで、「上下騒動」「狼藉」が起きていた。
■名張(三重県)・・・前任校は、鶴橋(大阪市生野区)にあった。鶴橋はあまり環境の良い所ではなかったが、交通の便のよさは抜群だった。名張は三重県なのだが、二人、通勤されておられた。
近鉄難波駅(8:40)-急行・奈良行ー鶴橋駅(8:43-55)②乗り場→青山町(区間急行)→→名張駅・名張駅バス停(三重交通、10:30)ーーーー曽爾高原バス停(11:00)・・国立曽爾高原青少年自然の家・・・遊歩道・・・「日本ボソ・倶留尊山(くろそやま)」分岐点・・・亀山峠・・昼食・・・(謡の稽古/「融」)・・・お亀池・・遊歩道・・国立曽爾高原青少年自然の家・・東海自然歩道・・曽爾高原ファームガーデン・・曽爾高原ファームガーデンバス停(14:27)---名張駅(15:00)・近鉄名張駅(15:05-15:27)④乗り場→上本町(急行)→→上本町駅(16:30-32)→尼崎行→難波駅(16:37)-----江坂駅(17:10)・・自宅(17:20)
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