小倉百人一首・71
86.なげけとて月やは物を思はするかこち顔(がお、がほ)なるわが涙かな(西行法師)
◇なげけとて=(月が私に)嘆けといって。 ◇月やは物を思はする=月がもの思いをさせるのであろうか。いや、そうではない。反語。 ◇かこち顔なる=月のせいではないのに、月にかこつけるようすの。「かこつ」は他人のせいにするの意。「顔(がほ)」はそのようなようすであることを表す。
▼出典:千載(せんざい)集・巻十五・恋五(九二六) 「月前恋(つきぜんのこい)」といへる心をよめる
※思い嘆けといって、月が私に恋の物思いをさせるのであろうか、いや決してそうではない。月はただ無心に照り輝いているだけなのに、あたかも月のせいでもあるかのように、恋の切なさにとめどなくこぼれ落ちる涙であることよ。
71.夕(ゆふ・ゆう)されば門田(かどた)の稲葉おとづれて芦のまろやに秋風ぞふく (大納言経信・だいなごんつねのぶ)
△夕されば=夕方になると。「さる」は時間の移りゆきをいう語。 △門田=家の門前にある田。 △おとづれて=さやさやと音をたてて。 「訪れて」を掛ける。 △芦のまろや=芦で屋根をふいたそまつな小屋。「まろや」は「丸屋」または「全屋(まろや)」で、屋根の丸い小屋、または全部芦ぶきの小屋という意といわれるが、なお定かでない。
▼出典:金葉(きんよう)集・巻三・秋(一八三) 師賢(もろかた)朝臣(あそん)の梅津(うめず)の山里に人々まかりて、「田家秋風(でんかのあきかぜ)」といへる事をよめる
※夕暮れ時になると、家の門前の田に稲葉がさやさやと音をたててそよぎ、芦ぶきの小屋に秋風が吹きわたってくるよ
■君がいた夏ー5部、第10話・ナポリの街ー
←カブアーナ門。
「ちょっとナポリの街を散策してみようよ」。喜多が言った。「なんだかごちゃごちゃした街だね。ここは信号がないんか?」「あそこにあるよ。でも、あっちに行くには、あの信号をわたって、あの道を横切るしかないよ」「えっ大丈夫かい」「ナポリでは、ただ待っていても一生渡れないってガイドブックに書いてあったよ。思い切って歩いてみようよ」「あっ、信号が青に変ったよ。行こう」。
「問題はいかにしてあっちへ渡るかだ」「そんなにいちいち考えていたら、一生渡れないよ。大阪名物、みんなで渡れば恐くない。さあ、行くよ」「行くよっていったって・・あっ待って」。土屋は取り残されてしまった。・・・、なんとか土屋は道を渡ることができた。
三人は、ぶらぶらと街を歩いて行った。やがて、大きな門にぶちあたった。「この門はなんて言うの?」「この本には、カブアーナ門って書いてあるよ」「ふーーん」。義清は、感嘆した。
■墨を使った作品展~墨に親しむ~→書・篆刻・水墨画・拓本など墨を利用したものを一般公募して展示 (主催:旧西尾家住宅 渡路州・とろす倶楽部)
旧西尾家住宅には何度も行っているのでガイドの必要はないと思った。しかし、せっかくだから、案内してもらうことにした。「茶室は5つあります。」「へぇー、5つもあるんですか」で、その一つを案内してもらった。写真は、村田英雄の「王将」で有名な「坂田三吉」が、西尾家当主(10代)とさした将棋盤だそうだ。「坂田三吉」は、晩年目を患い、西尾家当主や朝日ビールの社長の世話になっていたそうだ。そのお礼といってはなんだが、西尾家当主に将棋を教えていたそうだ。墓も服部緑地公園(大阪府吹田市・豊中市)近くの墓地にあるそうだ。牧野富太郎の「吹田慈姑(くわい)」、武田五一(ごいち)の設計といい、エピソードの多い家だと感じた。
銀行→サンクス図書館(CD:「バッハ イタリア協奏曲」、ビデオ:「六条の御息所」「旅情」、本:「ローマの休日ひとり歩き」「イタリアのカントリーサイド」を借りる。)→旧西尾家
■大阪市立大学交響曲楽団ー第54回定期演奏会のご案内ー
ピンポンに行こうかコンサートへ行こうか?迷った。結局コンサートへ行った。プログラム冒頭の曲・交響詩「フィンランディア」はいつも胸が熱くなる。シベリウスの故郷に対する愛国心が胸をうつ。最近の高校生や大学生はレベルが高く、プロと比べても遜色がないように感じる。バレエ音楽(シルヴィア)組曲、チャイコフスキー・交響曲第4番・ヘ短調作品36もすばらしかった。アンコール曲:「仮面舞踏会」(ハチャトリアン)は、アイススケートの浅田真央や織田信成のフリー演技の曲でおなじみ。織田君は、私が以前勤務していた高槻市立郡家(ぐんげ)小学校(隣が今城塚古墳)出身。高槻市内のO・2(オーツー、カルピスプラザ。高橋大輔も練習していた。)でかつて練習していたし、関西大学生(吹田市千里山)でもあるので、親しみを感じている。カムバックして良かった。
| 固定リンク





コメント