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渚の院⑰

中納言家成なぎさの院したてて 程なくこぼれたれぬと聞て、天王寺より下向しけるつゐでに、西住、浄蓮など中上人ともして見けるに、いとあはれにて、各々述懐しけるに、

折につけて人の心もかはりつつ世にあるかひもなぎさなりけり (『西行上人集』)

Dscn7368  ←玉川の里(大阪府高槻市)。三島江から少し内陸に入った場所にある。「卯の花」の名所だった。六玉川の一つ。芭蕉も訪れている。       

※なぎさの院=大阪府枚方市渚(なぎさ)にあった文徳天皇の離宮。後、惟喬(これたか)親王へ伝領。鳥飼より約9m上流。 ※鳥飼(とりがい)=大阪府摂津市。淀川沿いにあり、鳥飼の牧(まき)や鳥飼院があった所。 ※西住  ※浄蓮=不詳だが、静蓮法師と云う説もある。静蓮法師とするなら、千載集1015番の作者であり、忍西入道と同一人物の可能性も指摘されている。 ※中納言家成=藤原家成(1107~1154、48歳)。美福門院の従兄弟で、その縁故によって鳥羽院の寵臣になっていたことが「台記」や「愚管抄」に見える。家成は「なぎさの院」を再興したが、どういう理由かわからないが、またつぶしてしまった。 「交野(かたの)」というと現在の大阪府交野市とまぎらわしいが、本来は主として天野川以北の、枚方市北西部の淀川東岸一帯をさし、交野天神社や片埜(かたの)神社に今もその名をとどめている。また、在原業平は、この地にあった惟喬(これたか)親王の別荘、渚の院で「世の中に たえてさくらの なかりせば 春の心は のどけからまし」という歌を詠み、これによって交野は、藤原氏のため皇位につけなかった悲劇の皇子と桜のイメージが結びついて、人々に記憶されることになった。

吹田事件①・・・夏山登山3日目、「種池山荘」で寝ようとしたら隣の人がウィスキーをもってきた。酒が嫌いではないので、飲みながら話をした。前の職場が(大阪府)生野区だったというと、相手が俄然眼がきらきらしてきた。「猪飼野(いかいの)知っとるやろ?」「ええ」。話がどんどん進んで、「吹田事件」におよんだ。

■目の廻るような忙しい一日だった。疲れきって電車の中で寝ようとしたら、目のさめるような??美人が新金岡駅から乗ってきた。メイドカフェ風のフリフリのついたピンクと白の服を着ていた。俺の2倍もある腕と胴回りは、男?。あまりじろじろと見ては失礼だが、なんとなく目がそちらへいく。男?・・でも、体格のいい女性はめずらしくないし・・・。その女性?は梅田でおりられて、・・・その後、江坂まで眠りに落ちた。

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