渚の院⑮
中納言家成なぎさの院したてて 程なくこぼれたれぬと聞て、天王寺より下向しけるつゐでに、西住、浄蓮など中上人ともして見けるに、いとあはれにて、各々述懐しけるに、
折につけて人の心もかはりつつ世にあるかひもなぎさなりけり (『西行上人集』)
←神崎川。 神崎川は、平安時代・桓武天皇の時、淀川を開削してできた川。沿岸の江口(大阪市淀川区)や神崎(兵庫県尼崎市)は、遊女の里として栄えた。西行と江口の遊女・妙との問答歌は、有名。
※なぎさの院=大阪府枚方市渚(なぎさ)にあった文徳天皇の離宮。後、惟喬(これたか)親王へ伝領。鳥飼より約9m上流。 ※鳥飼(とりがい)=大阪府摂津市。淀川沿いにあり、鳥飼の牧(まき)や鳥飼院があった所。 ※西住 ※浄蓮=不詳だが、静蓮法師と云う説もある。静蓮法師とするなら、千載集1015番の作者であり、忍西入道と同一人物の可能性も指摘されている。 ※中納言家成=藤原家成(1107~1154、48歳)。美福門院の従兄弟で、その縁故によって鳥羽院の寵臣になっていたことが「台記」や「愚管抄」に見える。家成は「なぎさの院」を再興したが、どういう理由かわからないが、またつぶしてしまった。
「交野(かたの)」というと現在の大阪府交野市とまぎらわしいが、本来は主として天野川以北の、枚方市北西部の淀川東岸一帯をさし、交野天神社や片埜(かたの)神社に今もその名をとどめている。また、在原業平は、この地にあった惟喬(これたか)親王の別荘、渚の院で「世の中に たえてさくらの なかりせば 春の心は のどけからまし」という歌を詠み、これによって交野は、藤原氏のため皇位につけなかった悲劇の皇子と桜のイメージが結びついて、人々に記憶されることになった。
■鹿島槍(南峰=2889m、北峰=2842m)
←ナナカマドと鹿島槍(山荘でいただいた絵葉書)。
1ヶ月前、デジカメを棚から落とした。(しまった!)と思ったが、映るのでほっとしていた。鹿島槍へ行く3日前ぐらいから、少しおかしくなってきた。山中、まったく映らなくなってしまった。帰宅したら、又なんとか映るようになっていた。しかし、雷鳥の親子、ニホンザル、爺ガ岳山頂にいた蝶、数々の高山植物等を写真におさめることができなかった。 鹿島槍岳を登山者は「鹿島槍」と呼ぶ。歯切れのいい爽やかな語感は、すっきりと天を突く後立山(うしろたてやま)連峰の盟主にふさわしい。
爺ガ岳の山頂で休んでいたら、すぐそばの石に蝶が舞い降りてきた。アゲハチョウにそっくりなので、(あれっ?)と思った。よく見ると、少し違うような?。調べてみたら、「キアゲハ」だった。
■マサゴ画廊・・・午後より、デジカメを近所のミドリ電化にもっていく。修理可能かどうか、しばらく時間をくださいとのこと。その後、淀屋橋下車、大阪市役所近くの「マサゴ画廊」へ行く。「マサゴ画廊」は、老舗の画廊。同僚が個展を開いている。ここは、老松町。今は西天満、大阪高等裁判所近くといった方がとおりが早い。 三島由紀夫の小説(豊饒の海)の第2部(奔馬)で、「本多が、この大阪高等裁判所の屋上で生駒山を眺める」場面がでてくる。私が高校生の時は、大阪高等裁判所はレンガづくりの渋い建物だった。
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