渚の院①
中納言家成なぎさの院したてて 程なくこぼれたれぬと聞て、天王寺より下向しけるつゐでに、西住、浄蓮など中上人ともして見けるに、いとあはれにて、各々述懐しけるに、
折につけて人の心もかはりつつ世にあるかひもなぎさなりけり (『西行上人集』)
←四天王寺(大阪市天王寺区四天王寺1-11-18)。西門。聖徳太子が四天王寺を建立したのは593(推古天皇元)年。その後平安期に入り、浄土教が浸透していくなかで、西方浄土への日想感(にっそうかん)の修行とともに、西行・慈鎮・法然上人・後白河法皇・藤原家隆らが訪れた。
※なぎさの院=大阪府枚方市渚(なぎさ)にあった文徳天皇の離宮。後、惟喬(これたか)親王へ伝領。鳥飼より約9m上流。 ※鳥飼(とりがい)=大阪府摂津市。淀川沿いにあり、鳥飼の牧(まき)や鳥飼院があった所。 ※西住 ※浄蓮=不詳だが、静蓮法師と云う説もある。静蓮法師とするなら、千載集1015番の作者であり、忍西入道と同一人物の可能性も指摘されている。 ※中納言家成=藤原家成(1107~1154、48歳)。美福門院の従兄弟で、その縁故によって鳥羽院の寵臣になっていたことが「台記」や「愚管抄」に見える。家成は「なぎさの院」を再興したが、どういう理由かわからないが、またつぶしてしまった。
「交野(かたの)」というと現在の大阪府交野市とまぎらわしいが、本来は主として天野川以北の、枚方市北西部の淀川東岸一帯をさし、交野天神社や片埜(かたの)神社に今もその名をとどめている。また、在原業平は、この地にあった惟喬(これたか)親王の別荘、渚の院で「世の中に たえてさくらの なかりせば 春の心は のどけからまし」という歌を詠み、これによって交野は、藤原氏のため皇位につけなかった悲劇の皇子と桜のイメージが結びついて、人々に記憶されることになった。
■トホホ
←鱧(はも)、ゴーヤなどのてんぷら。
午後から、済生会・吹田病院で定期受診。身体の方は異常なしということでこれはよかったのだが、自転車の後輪の調子が悪かった。自宅を出たとこで異常に気がついた。だが、予約の時刻がせまっている。そのまま走り続けた。しだいにペダルが重くなっていく。受診を済ませ、自転車屋さんに直行。思いのほか時間がかかった。「大きな穴があいていました」「ああ、たぶん、いたずらされたんですね」。パンク修理だけなら300円なのだが、チューブ交換で、2400円かかった。・・ああ!とほほ!
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