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渚の院⑩

中納言家成なぎさの院したてて 程なくこぼれたれぬと聞て、天王寺より下向しけるつゐでに、西住、浄蓮など中上人ともして見けるに、いとあはれにて、各々述懐しけるに、

折につけて人の心もかはりつつ世にあるかひもなぎさなりけり (『西行上人集』)

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淀川。 古来、瀬戸内海ー淀川ー琵琶湖を結ぶ水路は重要な交通路だった。西行の時代は、窪津(渡辺津。熊野街道の起点、今の天満橋辺り)-江口ー鳥飼ー三島江ー(なぎさの院跡)-(水無瀬・みなせ)-山崎(やまざき)津ー鳥羽津(とばのつ)。

※なぎさの院=大阪府枚方市渚(なぎさ)にあった文徳天皇の離宮。後、惟喬(これたか)親王へ伝領。鳥飼より約9m上流。 ※鳥飼(とりがい)=大阪府摂津市。淀川沿いにあり、鳥飼の牧(まき)や鳥飼院があった所。 ※西住  ※浄蓮=不詳だが、静蓮法師と云う説もある。静蓮法師とするなら、千載集1015番の作者であり、忍西入道と同一人物の可能性も指摘されている。 ※中納言家成=藤原家成(1107~1154、48歳)。美福門院の従兄弟で、その縁故によって鳥羽院の寵臣になっていたことが「台記」や「愚管抄」に見える。家成は「なぎさの院」を再興したが、どういう理由かわからないが、またつぶしてしまった。

「交野(かたの)」というと現在の大阪府交野市とまぎらわしいが、本来は主として天野川以北の、枚方市北西部の淀川東岸一帯をさし、交野天神社や片埜(かたの)神社に今もその名をとどめている。また、在原業平は、この地にあった惟喬(これたか)親王の別荘、渚の院で「世の中に たえてさくらの なかりせば 春の心は のどけからまし」という歌を詠み、これによって交野は、藤原氏のため皇位につけなかった悲劇の皇子と桜のイメージが結びついて、人々に記憶されることになった。

■君がいた夏ー3部、第48話・疑惑ー

義清はシャワーをさっさとすますと、腰にバスタオルを巻きつけた。風呂場のドアをあけて、さっきの居間に戻った。居間にしつらえていた大きなベットに、ともひさは全裸でいた。ともひさは、驚いた顔で、「ずいぶん陽に焼けているんだな」。と、言った。

驚いているともひさの顔を見て、義清はふと疑問が浮かんだ。ともひさは、白血病と言っていたが本当だろうか?頭髪は黒々としていた。薬の副作用で抜け落ちるときいたが・・。別の思いが又浮かんだが、それを否定するように、覚悟を決めたかのように、義清はバスタオルをとってベットにあがった。

近畿教育オーディオロジー研究協議会/第10回 講演会

Cimg7564糸田川(神崎川に注ぐ)。

会場:ホテルアウィーナ大阪/講演:「手話から日本語を育てる授業づくり~私の視点と工夫~」/講師:早瀬憲太郎先生(学習塾早瀬道場 塾長)

講演:「私が聴覚障害教育を己めなかった訳/講師:大沼直紀先生(筑波技術大学 学長)

■吹田夏山登山教室(場所:鹿島槍・爺ガ岳、雨天決行)

集合場所:吹田市役所(22:00発)→→名神高速・・・長野高速・・・豊科IC・・・R147・・・

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