渚の院④
中納言家成なぎさの院したてて 程なくこぼれたれぬと聞て、天王寺より下向しけるつゐでに、西住、浄蓮など中上人ともして見けるに、いとあはれにて、各々述懐しけるに、
折につけて人の心もかはりつつ世にあるかひもなぎさなりけり (『西行上人集』)
←蕪村の顕彰碑(大阪市都島区毛馬町)。大川から毛馬閘門(けまこうもん)を抜け、淀川下流に出る。
※なぎさの院=大阪府枚方市渚(なぎさ)にあった文徳天皇の離宮。後、惟喬(これたか)親王へ伝領。鳥飼より約9m上流。 ※鳥飼(とりがい)=大阪府摂津市。淀川沿いにあり、鳥飼の牧(まき)や鳥飼院があった所。 ※西住 ※浄蓮=不詳だが、静蓮法師と云う説もある。静蓮法師とするなら、千載集1015番の作者であり、忍西入道と同一人物の可能性も指摘されている。 ※中納言家成=藤原家成(1107~1154、48歳)。美福門院の従兄弟で、その縁故によって鳥羽院の寵臣になっていたことが「台記」や「愚管抄」に見える。家成は「なぎさの院」を再興したが、どういう理由かわからないが、またつぶしてしまった。
「交野(かたの)」というと現在の大阪府交野市とまぎらわしいが、本来は主として天野川以北の、枚方市北西部の淀川東岸一帯をさし、交野天神社や片埜(かたの)神社に今もその名をとどめている。また、在原業平は、この地にあった惟喬(これたか)親王の別荘、渚の院で「世の中に たえてさくらの なかりせば 春の心は のどけからまし」という歌を詠み、これによって交野は、藤原氏のため皇位につけなかった悲劇の皇子と桜のイメージが結びついて、人々に記憶されることになった。
■君がいた夏ー3部、第45話・部屋ー
義清は、缶ビールを飲みながら、部屋を見渡した。観葉植物が所々置かれている。それが、どこか南国を思わせた。
「前の家とずいぶん雰囲気が変ったね」「前の家って、高円寺のか?」「ああ」「高円寺は、純和風だったからな。マネージャーが、観葉植物好きでね」「マネージャー?」「ああ、男だよ。熊みたいな奴。髭もじゃもじゃで、身体がでっかくて」「へぇー」「同居してるの?」「ん、・・いいや。近くから通っているよ。奴も大変でね。年取ったおふくろさんがいるんだ」「へぇー、両方のお世話で大変だ」。 ともひさは複雑な顔をした。
■五山の送り火
←大文字(東山如意ヶ嶽)、賀茂大橋手前・鴨川河原より望む。
大文字五山送り火は、お盆の間過ごした先祖様を天上へ送り届けるためのもの。その始まりは古く、平安時代とも室町時代とも言われています。現在見られる五山のほかにも、昔は「い」「一」「蛇」「長刀(なぎなた)」「竹の先に鈴」などの形があったと言います。戦時中、灯火管制で火をつけられなかった時には、白いシャツを着た人々が昼間に登山し、「白い大文字」を作ったとか。京都の人々の送り火への思い入れが伝わるエピソードですね。
自宅(18:30)・阪急吹田駅ー淡路ーー京都線ーー四条河原町駅(19:40)・・四条大橋・・鴨川河原・・・三条大橋・・木屋町通・・阪急四条河原町駅(20:30)ーー淡路ー吹田・自宅(21:40)
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