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渚の院⑭

中納言家成なぎさの院したてて 程なくこぼれたれぬと聞て、天王寺より下向しけるつゐでに、西住、浄蓮など中上人ともして見けるに、いとあはれにて、各々述懐しけるに、

折につけて人の心もかはりつつ世にあるかひもなぎさなりけり (『西行上人集』)

Dscn6843水道記念館、葦。 葦は、淀川のシンボル。山家集にも、葦を詠み込んだ歌が数首ある。

※なぎさの院=大阪府枚方市渚(なぎさ)にあった文徳天皇の離宮。後、惟喬(これたか)親王へ伝領。鳥飼より約9m上流。 ※鳥飼(とりがい)=大阪府摂津市。淀川沿いにあり、鳥飼の牧(まき)や鳥飼院があった所。 ※西住  ※浄蓮=不詳だが、静蓮法師と云う説もある。静蓮法師とするなら、千載集1015番の作者であり、忍西入道と同一人物の可能性も指摘されている。 ※中納言家成=藤原家成(1107~1154、48歳)。美福門院の従兄弟で、その縁故によって鳥羽院の寵臣になっていたことが「台記」や「愚管抄」に見える。家成は「なぎさの院」を再興したが、どういう理由かわからないが、またつぶしてしまった。

「交野(かたの)」というと現在の大阪府交野市とまぎらわしいが、本来は主として天野川以北の、枚方市北西部の淀川東岸一帯をさし、交野天神社や片埜(かたの)神社に今もその名をとどめている。また、在原業平は、この地にあった惟喬(これたか)親王の別荘、渚の院で「世の中に たえてさくらの なかりせば 春の心は のどけからまし」という歌を詠み、これによって交野は、藤原氏のため皇位につけなかった悲劇の皇子と桜のイメージが結びついて、人々に記憶されることになった。

■君がいた夏ー3部、第50話・大阪へー

Cimg76171 次の朝、ともひさを見ると、まだ寝ていた。義清は、ともひさをおこさないように、そおっとベットを降りた。素早く荷づくろいを済ませた。紙に、かんたんなお礼の言葉を書いた。それをテーブルに置いた。足を忍ばせてドアの所へ行き、開け、閉めた。エレベーターを降り、それから神宮前駅に向かって歩き出した。

東京駅で、新大阪行きの新幹線の切符をかった。・・、まもなく来た「ひかり」に義清はのりこんだ。過ぎていく、車窓の風景をぼんやりと眺めていた。

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