渚の院⑯
中納言家成なぎさの院したてて 程なくこぼれたれぬと聞て、天王寺より下向しけるつゐでに、西住、浄蓮など中上人ともして見けるに、いとあはれにて、各々述懐しけるに、
折につけて人の心もかはりつつ世にあるかひもなぎさなりけり (『西行上人集』)
←淀川河川敷。鳥飼あたり。 ここから内陸に入った「摂津市鳥飼上4-8」に、「鳥飼院跡(此付近鳥飼院址)」の碑が、忘れられたように立っている。鳥飼院は平安中期、菅原道真を登用して藤原氏の勢力をおさえた宇多天皇(光孝天皇の遺志を継いで仁和寺を完工)の離宮であった。当時淀川は下流の三国川(神崎川)と結ばれ、平安京と西国を往来する貴族や物資の輸送で川筋は大いににぎわった。鳥飼は都から近いこともあり、山崎・水無瀬(みなせ)とともに離宮や別荘がつくられた。『大和物語』には、宇多天皇がたびたびこの地を訪れ、江口・三島江・枚方などの遊女を交えた遊宴を催したことなどが記されている。また935(承平5)年、土佐から帰京する紀貫之は、鳥飼の御牧のほとりに宿泊したと『土佐日記』に記している。
※なぎさの院=大阪府枚方市渚(なぎさ)にあった文徳天皇の離宮。後、惟喬(これたか)親王へ伝領。鳥飼より約9m上流。 ※鳥飼(とりがい)=大阪府摂津市。淀川沿いにあり、鳥飼の牧(まき)や鳥飼院があった所。 ※西住 ※浄蓮=不詳だが、静蓮法師と云う説もある。静蓮法師とするなら、千載集1015番の作者であり、忍西入道と同一人物の可能性も指摘されている。 ※中納言家成=藤原家成(1107~1154、48歳)。美福門院の従兄弟で、その縁故によって鳥羽院の寵臣になっていたことが「台記」や「愚管抄」に見える。家成は「なぎさの院」を再興したが、どういう理由かわからないが、またつぶしてしまった。
「交野(かたの)」というと現在の大阪府交野市とまぎらわしいが、本来は主として天野川以北の、枚方市北西部の淀川東岸一帯をさし、交野天神社や片埜(かたの)神社に今もその名をとどめている。また、在原業平は、この地にあった惟喬(これたか)親王の別荘、渚の院で「世の中に たえてさくらの なかりせば 春の心は のどけからまし」という歌を詠み、これによって交野は、藤原氏のため皇位につけなかった悲劇の皇子と桜のイメージが結びついて、人々に記憶されることになった。
■君がいた夏ー3部、第51話・ビデオテープー
義清が大阪に戻って、3日後、ともひさからの小包が届いた。開けると、手紙とビデオテープが入っていた。ビデオテープは、先日東京テレビがともひさの為に特集を組んだ1時間番組のものだった。義清は、神宮のマンションでの光景が眼に浮かんだ。
(「三越でのサイン会で行列ができたって言うけど、俺の周りには、菊池ともひさの名前を知っているものは誰もいないよ」。ともひさは、憮然とした表情をした。)
■鹿島槍
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