渚の院⑦
中納言家成なぎさの院したてて 程なくこぼれたれぬと聞て、天王寺より下向しけるつゐでに、西住、浄蓮など中上人ともして見けるに、いとあはれにて、各々述懐しけるに、
折につけて人の心もかはりつつ世にあるかひもなぎさなりけり (『西行上人集』)
←大川から毛馬閘門を抜けてすぐの淀川の城北ワンド(大阪市旭区)。
※ワンド=淀川河岸の湾入部。 『古事記』によれば、仁徳天皇時代、しばしば洪水を起こす淀川下流低湿地帯に、難波(なにわ)の堀江と称する人工の水路をつくり(現在の大川がその跡だという。山家集にも、難波堀江の歌がある。)、また、茨田(まむた)堤(つづみ)を築いたという。
※なぎさの院=大阪府枚方市渚(なぎさ)にあった文徳天皇の離宮。後、惟喬(これたか)親王へ伝領。鳥飼より約9m上流。 ※鳥飼(とりがい)=大阪府摂津市。淀川沿いにあり、鳥飼の牧(まき)や鳥飼院があった所。 ※西住 ※浄蓮=不詳だが、静蓮法師と云う説もある。静蓮法師とするなら、千載集1015番の作者であり、忍西入道と同一人物の可能性も指摘されている。 ※中納言家成=藤原家成(1107~1154、48歳)。美福門院の従兄弟で、その縁故によって鳥羽院の寵臣になっていたことが「台記」や「愚管抄」に見える。家成は「なぎさの院」を再興したが、どういう理由かわからないが、またつぶしてしまった。
「交野(かたの)」というと現在の大阪府交野市とまぎらわしいが、本来は主として天野川以北の、枚方市北西部の淀川東岸一帯をさし、交野天神社や片埜(かたの)神社に今もその名をとどめている。また、在原業平は、この地にあった惟喬(これたか)親王の別荘、渚の院で「世の中に たえてさくらの なかりせば 春の心は のどけからまし」という歌を詠み、これによって交野は、藤原氏のため皇位につけなかった悲劇の皇子と桜のイメージが結びついて、人々に記憶されることになった。
■山頂は秋模様
「ヒヨドリバナ」の蜜に群れる「サカハチチョウ(夏型)」。写真には写っていないが、そばで「サカハチチョウ」と「スジグロシロチョウ」が舞っていた。 ※左の写真の花、「ヒヨドリバナ」ではなく、「ソクズ」かな?ちょっと見分けがつかない。
山頂には、萩の花が咲き、栗も実をつけていて、秋模様。地上はまだまだ暑いが、確実に秋は近づいている。
■白馬岳土砂崩れ3人連絡取れず・・・今度行く「鹿島槍ヶ岳(2,889m)」の北方の「白馬岳」での土砂崩れ。行方不明3人の安否が気になる。
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