謡曲・高砂の旅④
冴えわたる浦風いかに寒からむ 千鳥むれゐるゆふ崎の浦 (山家集 西行)
←曽根天満宮の鳥居。
上の歌碑は、曽根天満宮(兵庫県高砂市曽根町)の霊松殿に近い方にある。曽根天満宮は山陽電鉄曽根駅前(JR山陽本線曽根駅とはかなり離れている)の北側真正面にある。立派な構えを持つ神社で、門を入ると右側に歌碑玉垣が並んでいる。宮司曽根文省氏はまだ若い人だが、なかなかのアイディアマンらしい。以前の玉垣がこわれたので新しく取り替えることになったが、単に氏子の名前を書くだけでは面白くない。郷土に因む歌を刻んだ玉垣にしたいという宮司の意向により、氏子の協力を得て実現したものという。
この西行の歌は『山家集』に「冬の歌十首をよみける」としたうちの一首である。「ゆふ崎の浦」については、多くの注釈書が備中国(岡山県)浅口郡木綿崎、現在の勇崎かとしている。岡山県の勇崎といえば現在の倉敷市玉島である。歌碑のある曽根からは少し離れ過ぎている気がする。西行には野中の清水などを詠んだ歌もあるのだが。(2008年1月6日、旅する。)
■七夕伝説・・・(大阪府)枚方市と交野市一帯は、古くは「交野が原」と呼ばれ、七夕伝説発祥の地として知られています。⑬
森林鉄道風歩道橋。ちょっとしゃれた感じの歩道橋が続く。
■道修町(どしょうまち)
←坐摩(ざま、いかすり)神社境内の陶器神社近く。 源氏物語の光源氏のモデルの一人に、「源融(みなもとのとおる)」がいる。この源融の末裔が、「平家物語」に登場する水の武士団・渡辺党だと言われている。この渡辺党に由来した「渡辺橋」が、今の天満橋付近にかかり、その南詰めに坐摩(ざま、いかすり)神社があった。1583(天正11)年、大坂築城に際し、もとの地名とともに現在地(大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺)に移された。坐摩(ざま、いかすり)神社の渡邉絋一宮司に尋ねると「神功皇后が坐摩神のお教えにより、白鷺の多く集まる場所に坐摩神を奉斎なさった」という由緒によるという。
道修町の前に大阪と書こうかと思ったがやめた。道修町は道修町で、大阪以外で道修町の名の町はおそらくどこにもないだろうからというのが理由だ。道修町は、全国的に有名な薬の問屋街である。その道修町の一画にある「結核予防会・大阪支部」へ腰痛検査を受診しに行った。予約が午後3時からだったので、近くにある「南御堂」、その裏の坐摩神社へお参りした。まだ時間があったので、美々卯(みみう)・道修町店で蕎麦を食べた。
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