観世のふるさと⑮
現(うつつ)をも現(うつつ)とさらに思へねば夢をも夢となにか思はん(山家集 西行)
※現の世をも現なのだとは、とんと思えないのだから、同じように夢をも夢とどうして思えようか。現も夢も区別のつかない無常の世であることだ。
参考:「現をも現といかが定むべき夢にも夢を見ずばこそあらめ」(『千載集』雑中、季通)。
能といえば幽玄。この幽玄は、藤原定家あたりに影響されたと本に書かれていた。上の西行の歌を読んでみると、むしろ西行に影響されたのではないかと思える。世阿弥には、西行を題材とした「西行桜」がある。この能・「西行桜」を書いた世阿弥の生誕の地、観世流の発祥の地が「結崎」だと知って出かけてみた。
糸井神社の鳥居前の道を少しだけのぼると、川が見えてきます。これが「寺川」です。川を渡って、すぐ川沿いの道を左へ曲がります。すると・・・交差点のところに、左の写真のような小さな「面塚」と彫られた石が見えてきます。 でも、これは面塚ではなく「道標」です。本当の「面塚」はもう少し川沿いを歩くと、石で囲まれた碑が立っています。
■西行ML秋のオフ会・その3
←法然院。
法然上人ゆかりの地に江戸時代に建てられた寺。茅葺の山門にカエデがかかる様子や、白砂壇に積もるモミジの落ち葉など見所満載。紅葉が織り成す多彩な風景を落ち着いた雰囲気とともに静かな心でゆっくりと味わいたい。
銀閣寺から南に10分ほどの所にあります。善気山獅子谷法然院とも善気山万無教寺あるいは善気山万無寺ともいいます。初めは法然上人が草庵を営み、弟子の安楽や住蓮とともに専修念仏を修した所と言われています。本尊は恵心僧都作という阿弥陀如来。 後、荒れ果てていましたが17世紀末頃に万無心阿上人が中興したと伝えられます。
←法然院境内にあった。
意味不明なので、気になった。みたらし団子の発祥地? ×。みたらし団子の発祥地は下鴨神社だし・・。なんだろう? ??。
※「承元の法難」=1207年2月のことです。その前年の12月、後鳥羽帝が熊野御幸で京都を留守にしている時に、後鳥羽帝の愛妾達、松虫、鈴虫、伊賀局などが夜半に出奔して鹿ヶ谷の安楽、住蓮の草庵に行き、剃髪、出家しました。(伊賀局は出家したかどうか資料はありません)熊野から帰って、このことを知った後鳥羽帝は激怒して、安楽、住蓮は斬首、法然は讃岐に流罪、親鸞は越後に流罪となりました。この年、法然は75歳でした。
36年前、大学生のとき、ここはすでに超人気スポットだった。若王子神社の近くに、北海道出身の俳優・「栗塚旭(あさひ)」さんが喫茶店をひらかれていて、常に満員状態だった。俗に言う「アンノン族(雑誌・アンアン、ノンノン)」が、この道を闊歩していた。今はもうおばさんの世代だが・・・、そんな過去の事を思い出しながら歩いた。
←大豊神社(おおとよ)近くの民家。
哲学の道はよく歩いたが、大豊神社は知らなかった。豊臣秀吉ゆかりの神社かな?と思ったが、全然関係がなさそうである。
この辺りは、「椿が峰」と呼ばれるそうだが、「椿が峰」という名前も初めて聞いた。椿の樹が多く見られた。
その他にも、狛キツネ、狛猿、狛トビがあった。狛キツネはお稲荷さんでおなじみだが、狛ネズミ、狛猿、狛トビは珍しい。来年のえとはネズミなので、人気のでそうな神社だと思った。トビと愛宕山の関係は初耳だ。京都に住んでいる同僚は、賀茂川で弁当を食べていたらトビにさらわれたと話していた。「トンビにあぶらげさらわれキツネ泣く」。なんのこっちゃ。
オフ会ではお世話になりました。これから寒くなってきましので、お体大切になさってください。それでは・・・。
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コメント
オフ会お疲れ様でした。
一週間経ちましたが、なかなか疲れが戻りませんね!
法然院の多宝塔の裏の「団子」のようなオブジェは陶芸家「中野亘」さんの作品です。
http://www.asahi.com/kansai/kokoro/pinhole/OSK200706220007.html
投稿: や~ | 2007年12月12日 (水) 22時26分