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鳥②・にわ鶏

にわ鶏

Dscn2611 天満の商店街にある「くらしの今昔館」内。

(154)物思ひはまだ夕ぐれのままなる子に明けぬとつぐるには鳥の聲 (西行)

「新潮日本古典集成」では、

(699)もの思へばまだ夕暮のままなるに明けぬと告ぐるしば鳥の声

※逢えないことを歎きつつもの思いにふけっていると、まだ自分は夕暮れの折と同じ心持なのに、もうしば鳥(鶏)が夜明けを告げることであるよ。

夕暮れは男が女の許を訪れる時。鶏の声は、夜が明けて男が女の許を去る時を告げるものであるが、現実にはそれは自分に何の意味をも持たぬことを歎く歌。

Dscn7757 石上(いそのかみ)神宮の境内に放し飼いにされている鶏。

神宮と鶏との由来を聞くと、別にないとのこと。景気づけに放し飼いにしているとのこと。午後4時なのに、1羽、さかんに鳴いている鶏がいた。

Dscn7689 大阪府立服部緑地公園内、野外音楽堂。「風人(かぜぴとぅ)の祭」 NGO風人ネットワーク ℡06-6101-8818

初め何の祭りか分からなかった。沖縄の三線(さんしん)とか津軽の三味線などの演奏があった。知的障害者支援のバザーなどもあった。風人とは、沖縄・西表島方言の「風(かじ)」と「人(ぴとぅ)」をつなげた新しい言葉。全国23ヶ所、その地域の実行委員によって創られ、自分の街や国を少しでもよくしたいという思いにあふれた祭り。

賞味期限の切れた男にはつらい一日だった。コスモス畑や鴨を眺めてぶらぶらしていたら、自転車の鍵を落としたことに気がついた。さほど歩いていないのですぐ見つかると思ったけど、現実はそう甘くなく、見つからなかった。しかたがないので、自宅まで歩いて行くことにした。途中で雪駄の緒が切れて、これもしかたがないので、片足、裸足で歩いていった。舗装状態が悪い所があって、小石が足にくいこんできた。たまらないと思い、急きょ、雪駄の緒を修繕した。畳地を広げて、そこに緒を通したらなんとかつながった。 紺の作務衣は、京都の北野天満宮の「終い天神」の時に購入した。3千円と格安だったが、洗濯するとすそがはねてけったいな具合になった。色合いが良いので着続けている。Dscn7690_1  →服部緑地公園に咲いていた「コーヒー・コスモス」

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鳥①・すずめ

すずめ

(98)雪埋むそのの呉竹折れふしてねぐら求むるむら雀かな(西行)

Dscn7398

←稲を食べるは、農家の人に目の敵にされる。だが、反面、樹にすくう害虫を食べたりと、益鳥の顔もある。ある人によると、「鳥は、雀に始まって雀に終わる」のだそうだ。平凡でどこでも見られるが、よく見ると、きれいな鳥だ。

Dscn7401 ←10月3日、ガラス戸の辺りでじっとしていた。怪我でもしているのかと思った。羽がうぐいす色をしているので、「めじろ」なか?と最初、思った。顔を見ると雀で、池に入った際、藻でも羽にくっついたのか?。どうも動きが悪い。じっとこっちを見て助けを待っているようにも見えるが、どうにもしてやれない。用事でその場を離れたら、雀の姿はなかった。

無事でいてほしい。

Dscn7400_1 ←雀を折った。折り紙の本に「雀」と書いてあったので、その通りに折った。雀というより亀みたいで、後ろの穴に息を吹き込むと胴体がふくらむ。子どもに、「この穴に息をふきこんでごらん」と言った。息を吹き込むと胴体がふくらんだので、子どもは驚いていた。1枚の紙が立体に変化するのだから、折り紙はすぐれものだ。

Dscn5442 ←兵庫県赤穂市。 花岳寺。

播州赤穂へは、大阪からのJR新快速が1時間に1本と乗り換えなしで運行している。花岳寺は、忠臣蔵で有名な赤穂義士ゆかりの寺。主君浅野家の菩提寺。寺内には、義士宝物館があり、関係資料が多数展示されている。雀が止まっているのは、吉良上野介が邸内にはっきりといる日はいつかという情報を手に入れた「大高源吾」の俳句の碑。

Dscn7667滝畑ダム。

■①滝畑・石川上流(河内長野市) ②滝畑ダム ③石川中流(富田林市) ④大和川下流(堺市・阪堺大橋近く)

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熊野街道⑦

津(つ)の国の難波(なにわ)の春は夢なれや 芦の枯葉に風わたるなり(西行)

◆心ある人に見せたいと古人が詠み、わたしも歌ったあの摂津(せっつ)の国の難波の美しい春景色(はるげしき)は、夢のことであったのであろうか。今、再び来てみれば、芦の枯葉をざわざわと動かして風が渡っており、何とも言えず淋しい荒涼たる冬の景色である。

Dscn1779 ←熊野本宮大社。熊野三山の中心である。 険しい山中に「木の国」(紀伊)ゆかりの家津御子(けづみこ)大神を祭っている。

修験道と結ばれるまで信徒も少なかったが 平安半ばを過ぎると 熊野参りの参拝客は跡を断たなかった。

院政時代には後白河・後鳥羽上皇の信仰も得た。和泉式部の供養塔も残っている。 

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熊野街道⑥

津(つ)の国の難波(なにわ)の春は夢なれや 芦の枯葉に風わたるなり(西行)

◆心ある人に見せたいと古人が詠み、わたしも歌ったあの摂津(せっつ)の国の難波の美しい春景色(はるげしき)は、夢のことであったのであろうか。今、再び来てみれば、芦の枯葉をざわざわと動かして風が渡っており、何とも言えず淋しい荒涼たる冬の景色である。

Dscn7635雄ノ山峠。 大阪を発した西熊野街道はここから紀伊の国へはいった。

熊野詣と関係深いものに九十九王子が、大阪から中辺路(なかへじ)にかけてあり、有名である。京都から遠路熊野参拝の途中に、これらの王子社で熊野権現を遥拝(ようはい)し、休憩しながら次第に熊野の神域に近づく。 王子は若一(にゃくいち)王子で、九十九王子というのは多数の王子の意味、実際には大阪府に二十二社、和歌山県下に七十二王子社がある。

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熊野街道⑤

津(つ)の国の難波(なにわ)の春は夢なれや 芦の枯葉に風わたるなり(西行)

◆心ある人に見せたいと古人が詠み、わたしも歌ったあの摂津(せっつ)の国の難波の美しい春景色(はるげしき)は、夢のことであったのであろうか。今、再び来てみれば、芦の枯葉をざわざわと動かして風が渡っており、何とも言えず淋しい荒涼たる冬の景色である。

Dscn7631河内(現大阪府)から紀伊へ通ずる国境の紀見峠。 古道の下を今は国道170号線がトンネルで抜けている。

紀伊半島のかつての道は、熊野街道と高野街道に代表されるといってもいい。そのすべてが、熊野・高野のこの二つの社寺を指向していた。社と寺の違いこそあれ、どちらもそれに対する人々の信仰の熱っぽかったことがよくわかる。ここは紀(木)の国といわれたように、深い山々が重畳しているが、紀ノ川と長い海岸線の景観もすばらしい。はるか遠い昔から、皇室をはじめ一般庶民は、その自然を愛しつつこの道を往来したことであろう。

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熊野街道④

Dscn5046 津(つ)の国の難波(なにわ)の春は夢なれや 芦の枯葉に風わたるなり(西行)

◆心ある人に見せたいと古人が詠み、わたしも歌ったあの摂津(せっつ)の国の難波の美しい春景色(はるげしき)は、夢のことであったのであろうか。今、再び来てみれば、芦の枯葉をざわざわと動かして風が渡っており、何とも言えず淋しい荒涼たる冬の景色である。

Dscn5043

↑空堀(大阪市中央区空堀)付近。空堀は、大阪城の空堀(からほり)から。大阪城の外堀は、徳川氏の計略で、空堀になった。

空堀は、直木賞で有名な直木三十五(なおきさんじゅうご)の出生地。

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熊野街道③

津(つ)の国の難波(なにわ)の春は夢なれや 芦の枯葉に風わたるなり(西行)

◆心ある人に見せたいと古人が詠み、わたしも歌ったあの摂津(せっつ)の国の難波の美しい春景色(はるげしき)は、夢のことであったのであろうか。今、再び来てみれば、芦の枯葉をざわざわと動かして風が渡っており、何とも言えず淋しい荒涼たる冬の景色である。

Dscn6685

谷町6丁目付近。

谷町筋をまっすぐ南に下っていくと、生国魂神社(いくたまさん)、夕陽丘、四天王寺(てんのうじ)と連なっている。 碑は比較的新しい。

余談になるが、谷町は相撲の「タニマチ」。いわば、ご贔屓筋。今の言葉でいえば、スポンサーか?。明治の頃、谷町の歯医者さんが相撲のスポンサーになったことから「タニマチ」という言葉が生まれた。今も、谷町の歯医者さんが相撲部屋のスポンサーである。

Dscn7614兵庫県宝塚市。裏六甲山、蓬莱峡(ほうらいきょう)。

吹田勤労者山岳会軽登山部の初級岩登り教室、第1日目が開催された。

Dscn7624知るべ岩。

(7:45)集合=阪急宝塚駅の改札を出た所。Dscn7625 (8:05)バス→片道220円。→バス下車、徒歩5分。蓬莱峡・知るべ岩。スパイダーマンみたいにほぼ垂直の岩壁を登って行く。命綱はつけている。

歌劇の街らしく音楽のモニュメント(阪急・宝塚駅前)。→

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