渚の院⑨

中納言家成なぎさの院したてて 程なくこぼれたれぬと聞て、天王寺より下向しけるつゐでに、西住、浄蓮など中上人ともして見けるに、いとあはれにて、各々述懐しけるに、

折につけて人の心もかはりつつ世にあるかひもなぎさなりけり (『西行上人集』)

Cimg1906 城北ワンド。天然記念物の「イタセンパラ」が生息している。現在、急速に減少している。2006年度の調査では1匹も発見されなかったという。

※なぎさの院=大阪府枚方市渚(なぎさ)にあった文徳天皇の離宮。後、惟喬(これたか)親王へ伝領。鳥飼より約9m上流。 ※鳥飼(とりがい)=大阪府摂津市。淀川沿いにあり、鳥飼の牧(まき)や鳥飼院があった所。 ※西住  ※浄蓮=不詳だが、静蓮法師と云う説もある。静蓮法師とするなら、千載集1015番の作者であり、忍西入道と同一人物の可能性も指摘されている。 ※中納言家成=藤原家成(1107~1154、48歳)。美福門院の従兄弟で、その縁故によって鳥羽院の寵臣になっていたことが「台記」や「愚管抄」に見える。家成は「なぎさの院」を再興したが、どういう理由かわからないが、またつぶしてしまった。

「交野(かたの)」というと現在の大阪府交野市とまぎらわしいが、本来は主として天野川以北の、枚方市北西部の淀川東岸一帯をさし、交野天神社や片埜(かたの)神社に今もその名をとどめている。また、在原業平は、この地にあった惟喬(これたか)親王の別荘、渚の院で「世の中に たえてさくらの なかりせば 春の心は のどけからまし」という歌を詠み、これによって交野は、藤原氏のため皇位につけなかった悲劇の皇子と桜のイメージが結びついて、人々に記憶されることになった。

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渚の院⑧

中納言家成なぎさの院したてて 程なくこぼれたれぬと聞て、天王寺より下向しけるつゐでに、西住、浄蓮など中上人ともして見けるに、いとあはれにて、各々述懐しけるに、

折につけて人の心もかはりつつ世にあるかひもなぎさなりけり (『西行上人集』)

Cimg1905生駒山。生駒山は大阪市内、淀川河川敷からでもよく見える。かつて、遣隋使の目印となった。山家集にも歌あり。

※なぎさの院=大阪府枚方市渚(なぎさ)にあった文徳天皇の離宮。後、惟喬(これたか)親王へ伝領。鳥飼より約9m上流。 ※鳥飼(とりがい)=大阪府摂津市。淀川沿いにあり、鳥飼の牧(まき)や鳥飼院があった所。 ※西住  ※浄蓮=不詳だが、静蓮法師と云う説もある。静蓮法師とするなら、千載集1015番の作者であり、忍西入道と同一人物の可能性も指摘されている。 ※中納言家成=藤原家成(1107~1154、48歳)。美福門院の従兄弟で、その縁故によって鳥羽院の寵臣になっていたことが「台記」や「愚管抄」に見える。家成は「なぎさの院」を再興したが、どういう理由かわからないが、またつぶしてしまった。

「交野(かたの)」というと現在の大阪府交野市とまぎらわしいが、本来は主として天野川以北の、枚方市北西部の淀川東岸一帯をさし、交野天神社や片埜(かたの)神社に今もその名をとどめている。また、在原業平は、この地にあった惟喬(これたか)親王の別荘、渚の院で「世の中に たえてさくらの なかりせば 春の心は のどけからまし」という歌を詠み、これによって交野は、藤原氏のため皇位につけなかった悲劇の皇子と桜のイメージが結びついて、人々に記憶されることになった。

■君がいた夏ー3部、第47話・魅力の確認ー

ともひさは缶ビールを1杯しか飲んでいないのに、憑かれたように1人しゃべり続けた。

「・・・。精神交流なんて言う奴もいるが、要するに、俺が思うに、セックスは自分の魅力の確認なんだ。自分に魅力がなけりゃ、相手はセックスしようなんて気がおこらない。俺はこんな身体だけど、まだセックスしたいという気にさせることができるんだ。・・・」

義清は、しだいにうんざりとしてきた。だが、ともひさの言いたいことは痛いほど分かってきた。自分にはまだ魅力が残っている。だから・・・。 義清は残りの缶ビールをぐっと飲みほすと、「シャワー浴びたいので、貸してくれる」と、言った。

梅田界隈

Cimg75451ホテル・リッツ・カールトン大阪、レセプション・ホール(大阪市北区)。

「自宅でくつろぐ」とタイトルに書こうとしたが嘘はいけない。正直に書いた。阪急グランドビルから夜景を見ていたら、気になる建物があった。行ってみると、ホテル・リッツ・カールトン大阪だった。あまり縁のないホテルだが、せっかくだから中へ入ってみようということになった。44年前、この辺りは戦争後の不法侵入の建物がごちゃごちゃと建ち並んでいた。国鉄時代の大阪駅は、戦争で工事が中断した状態で使用されていた。地下街には、傷痍軍人すがたの男性の姿がみられた。

■SPEED、『24時間テレビ~愛は地球を救う~』で完全復活。ボーカル・今井絵里子、自身のブログで、長男・礼夢(らいむ、4歳)君が聴力障害であることを告白。番組に礼夢君と出演予定。

■北アルプス白馬(しろうま)岳の行方不明者は2名・・・長野県警や白馬(はくば)村役場によると、行方不明になっているのは男性ガイドと女性登山客。→今日の新聞では、2人の遺体が発見されたと掲載。→あらたに、1名、男性の行方不明者。遺体はまだ。

■西高野街道

Cimg7559西高野街道に面して、「月見祭(大阪府堺市・百舌鳥・もず八幡宮)」の幟(のぼり)がハタメク。

百舌鳥八幡宮近くの事務所(「百舌鳥赤畑(あかはた)町」)で打ち合わせがあった。堺市は、竹ノ内街道熊野街道などの歴史ある街道が通っている。西高野街道もその一つ。→高野山(高野七口・・不動坂口ー西高野街道)

参考文献:西行と高野山

■今日、娘の誕生日(22歳)。

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渚の院⑦

中納言家成なぎさの院したてて 程なくこぼれたれぬと聞て、天王寺より下向しけるつゐでに、西住、浄蓮など中上人ともして見けるに、いとあはれにて、各々述懐しけるに、

折につけて人の心もかはりつつ世にあるかひもなぎさなりけり (『西行上人集』)

Cimg1899大川から毛馬閘門を抜けてすぐの淀川の城北ワンド(大阪市旭区)。

ワンド=淀川河岸の湾入部。 『古事記』によれば、仁徳天皇時代、しばしば洪水を起こす淀川下流低湿地帯に、難波(なにわ)の堀江と称する人工の水路をつくり(現在の大川がその跡だという。山家集にも、難波堀江の歌がある。)、また、茨田(まむた)堤(つづみ)を築いたという。

※なぎさの院=大阪府枚方市渚(なぎさ)にあった文徳天皇の離宮。後、惟喬(これたか)親王へ伝領。鳥飼より約9m上流。 ※鳥飼(とりがい)=大阪府摂津市。淀川沿いにあり、鳥飼の牧(まき)や鳥飼院があった所。 ※西住  ※浄蓮=不詳だが、静蓮法師と云う説もある。静蓮法師とするなら、千載集1015番の作者であり、忍西入道と同一人物の可能性も指摘されている。 ※中納言家成=藤原家成(1107~1154、48歳)。美福門院の従兄弟で、その縁故によって鳥羽院の寵臣になっていたことが「台記」や「愚管抄」に見える。家成は「なぎさの院」を再興したが、どういう理由かわからないが、またつぶしてしまった。

「交野(かたの)」というと現在の大阪府交野市とまぎらわしいが、本来は主として天野川以北の、枚方市北西部の淀川東岸一帯をさし、交野天神社や片埜(かたの)神社に今もその名をとどめている。また、在原業平は、この地にあった惟喬(これたか)親王の別荘、渚の院で「世の中に たえてさくらの なかりせば 春の心は のどけからまし」という歌を詠み、これによって交野は、藤原氏のため皇位につけなかった悲劇の皇子と桜のイメージが結びついて、人々に記憶されることになった。

■山頂は秋模様

Cimg7517岩湧山。

ヒヨドリバナ」の蜜に群れる「サカハチチョウ(夏型)」。写真には写っていないが、そばで「サカハチチョウ」と「スジグロシロチョウ」が舞っていた。 ※左の写真の花、「ヒヨドリバナ」ではなく、「ソクズ」かな?ちょっと見分けがつかない。

山頂には、萩の花が咲き、栗も実をつけていて、秋模様。地上はまだまだ暑いが、確実に秋は近づいている。

■白馬岳土砂崩れ3人連絡取れず・・・今度行く「鹿島槍ヶ岳(2,889m)」の北方の「白馬岳」での土砂崩れ。行方不明3人の安否が気になる。

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渚の院⑥

中納言家成なぎさの院したてて 程なくこぼれたれぬと聞て、天王寺より下向しけるつゐでに、西住、浄蓮など中上人ともして見けるに、いとあはれにて、各々述懐しけるに、

折につけて人の心もかはりつつ世にあるかひもなぎさなりけり (『西行上人集』)

Cimg1894赤川鉄橋からみた淀川河口の風景。

※なぎさの院=大阪府枚方市渚(なぎさ)にあった文徳天皇の離宮。後、惟喬(これたか)親王へ伝領。鳥飼より約9m上流。 ※鳥飼(とりがい)=大阪府摂津市。淀川沿いにあり、鳥飼の牧(まき)や鳥飼院があった所。 ※西住  ※浄蓮=不詳だが、静蓮法師と云う説もある。静蓮法師とするなら、千載集1015番の作者であり、忍西入道と同一人物の可能性も指摘されている。 ※中納言家成=藤原家成(1107~1154、48歳)。美福門院の従兄弟で、その縁故によって鳥羽院の寵臣になっていたことが「台記」や「愚管抄」に見える。家成は「なぎさの院」を再興したが、どういう理由かわからないが、またつぶしてしまった。

「交野(かたの)」というと現在の大阪府交野市とまぎらわしいが、本来は主として天野川以北の、枚方市北西部の淀川東岸一帯をさし、交野天神社や片埜(かたの)神社に今もその名をとどめている。また、在原業平は、この地にあった惟喬(これたか)親王の別荘、渚の院で「世の中に たえてさくらの なかりせば 春の心は のどけからまし」という歌を詠み、これによって交野は、藤原氏のため皇位につけなかった悲劇の皇子と桜のイメージが結びついて、人々に記憶されることになった。

■君がいた夏ー3部、第46話・酔いー

「ビール、飲まない?」「ああ、もういいよ。1杯が限度なんだ」。ともひさは、淋しげに言った。「昔は、あんなに飲んでいたのに」。義清は遠い目をした。「俺はだめだけど、お前はどんどんいいんだよ」「ありがとう。でも、飲みすぎたら・・」「飲みすぎたら?」「正体わからなくなるし・・、それに・・」「それに?」「・・エッチな気分になるから」「エッチな気分になる?」。そういうと、ともひさは大きな声をたてて笑った。

「・・・まあ、酒には誘淫剤みたいな成分が入っているんだろうね」。ともひさは、今度は真面目な顔をして言った。

アサヒビール吹田工場見学(AM10:30~12:00)

Cimg7534竣工当時のレンガ壁面。

エントランス前にアサヒビール吹田工場竣工当時の建物の壁をほぼそのまま移設している。レンガづくりの壁が、時代と伝統をかもしだしている。

■葛城山

Cimg7526金剛山(岩湧山より真東)。

今日の朝、友人をJR大阪駅に迎えに行った。待ち合わせの時刻よりだいぶ早く着いたので、駅内に置いてあったガイドブック(「やまとびと」)に目を通した。「かつらぎ山」が特集されていた。「・・・いにしえの時代、現在の金剛山は『葛城山』または『高天山』と呼ばれており、『金剛山』という名称はこの地に仏教が伝来して以降のことだという。ということは金剛・葛城の峯を総称して『かつらぎの峯』と呼ぶことが出来そうだ。・・・・」。 山家集にでてくる「かつらぎ山」は、「大和葛城山」ではなく「金剛山」のことだと思っている。

■第90回全国高校野球大会、北大阪代表の大阪桐蔭、17年ぶりに優勝。

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渚の院⑤

中納言家成なぎさの院したてて 程なくこぼれたれぬと聞て、天王寺より下向しけるつゐでに、西住、浄蓮など中上人ともして見けるに、いとあはれにて、各々述懐しけるに、

折につけて人の心もかはりつつ世にあるかひもなぎさなりけり (『西行上人集』)

Cimg1896淀川に架けられた「赤川鉄橋」。平行して「城東貨物線」が走る。「赤川鉄橋」は鉄橋と名が付いているが、木製の橋。自転車で通ると、板が揺れる箇所がある。実は「赤川鉄橋」も「城東貨物線」の一部で、後から木板をひいたようだ。

※なぎさの院=大阪府枚方市渚(なぎさ)にあった文徳天皇の離宮。後、惟喬(これたか)親王へ伝領。鳥飼より約9m上流。 ※鳥飼(とりがい)=大阪府摂津市。淀川沿いにあり、鳥飼の牧(まき)や鳥飼院があった所。 ※西住  ※浄蓮=不詳だが、静蓮法師と云う説もある。静蓮法師とするなら、千載集1015番の作者であり、忍西入道と同一人物の可能性も指摘されている。 ※中納言家成=藤原家成(1107~1154、48歳)。美福門院の従兄弟で、その縁故によって鳥羽院の寵臣になっていたことが「台記」や「愚管抄」に見える。家成は「なぎさの院」を再興したが、どういう理由かわからないが、またつぶしてしまった。

「交野(かたの)」というと現在の大阪府交野市とまぎらわしいが、本来は主として天野川以北の、枚方市北西部の淀川東岸一帯をさし、交野天神社や片埜(かたの)神社に今もその名をとどめている。また、在原業平は、この地にあった惟喬(これたか)親王の別荘、渚の院で「世の中に たえてさくらの なかりせば 春の心は のどけからまし」という歌を詠み、これによって交野は、藤原氏のため皇位につけなかった悲劇の皇子と桜のイメージが結びついて、人々に記憶されることになった。

■吹田夏山登山教室(8/22~25:鹿島槍・爺ガ岳)トレーニング山行

Cimg7520岩湧山(いわわくさん)頂上付近。

阪急吹田(7:30-35)ーーー※天下茶屋駅(てんがちゃや、8:20)・南海天下茶屋駅ー高野線・急行ーー紀見峠駅下車(9:10-9:20)・・・根古谷・・・越ガ滝(2合目)・・・3合目分岐・・・五ツ辻・・・岩湧山(897.7m、12:00-13:00)・・・五ツ辻・・・3合目分岐・・・砥石(といし)谷(14:40)・・・南海天見(あまみ)駅(15:30)解散    

※天下茶屋=大阪には、天下茶屋(てんがちゃや)や松屋町(まっちゃまち)といった他の土地にはない呼び方の町がある。

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渚の院④

中納言家成なぎさの院したてて 程なくこぼれたれぬと聞て、天王寺より下向しけるつゐでに、西住、浄蓮など中上人ともして見けるに、いとあはれにて、各々述懐しけるに、

折につけて人の心もかはりつつ世にあるかひもなぎさなりけり (『西行上人集』)

Cimg1897蕪村の顕彰碑(大阪市都島区毛馬町)。大川から毛馬閘門(けまこうもん)を抜け、淀川下流に出る。

※なぎさの院=大阪府枚方市渚(なぎさ)にあった文徳天皇の離宮。後、惟喬(これたか)親王へ伝領。鳥飼より約9m上流。 ※鳥飼(とりがい)=大阪府摂津市。淀川沿いにあり、鳥飼の牧(まき)や鳥飼院があった所。 ※西住  ※浄蓮=不詳だが、静蓮法師と云う説もある。静蓮法師とするなら、千載集1015番の作者であり、忍西入道と同一人物の可能性も指摘されている。 ※中納言家成=藤原家成(1107~1154、48歳)。美福門院の従兄弟で、その縁故によって鳥羽院の寵臣になっていたことが「台記」や「愚管抄」に見える。家成は「なぎさの院」を再興したが、どういう理由かわからないが、またつぶしてしまった。

「交野(かたの)」というと現在の大阪府交野市とまぎらわしいが、本来は主として天野川以北の、枚方市北西部の淀川東岸一帯をさし、交野天神社や片埜(かたの)神社に今もその名をとどめている。また、在原業平は、この地にあった惟喬(これたか)親王の別荘、渚の院で「世の中に たえてさくらの なかりせば 春の心は のどけからまし」という歌を詠み、これによって交野は、藤原氏のため皇位につけなかった悲劇の皇子と桜のイメージが結びついて、人々に記憶されることになった。

■君がいた夏ー3部、第45話・部屋ー

義清は、缶ビールを飲みながら、部屋を見渡した。観葉植物が所々置かれている。それが、どこか南国を思わせた。

「前の家とずいぶん雰囲気が変ったね」「前の家って、高円寺のか?」「ああ」「高円寺は、純和風だったからな。マネージャーが、観葉植物好きでね」「マネージャー?」「ああ、男だよ。みたいな奴。髭もじゃもじゃで、身体がでっかくて」「へぇー」「同居してるの?」「ん、・・いいや。近くから通っているよ。奴も大変でね。年取ったおふくろさんがいるんだ」「へぇー、両方のお世話で大変だ」。 ともひさは複雑な顔をした。

■五山の送り火

Cimg74981

大文字(東山如意ヶ嶽)、賀茂大橋手前・鴨川河原より望む。

大文字五山送り火は、お盆の間過ごした先祖様を天上へ送り届けるためのもの。その始まりは古く、平安時代とも室町時代とも言われています。現在見られる五山のほかにも、昔は「い」「一」「蛇」「長刀(なぎなた)」「竹の先に鈴」などの形があったと言います。戦時中、灯火管制で火をつけられなかった時には、白いシャツを着た人々が昼間に登山し、「白い大文字」を作ったとか。京都の人々の送り火への思い入れが伝わるエピソードですね。

自宅(18:30)・阪急吹田駅ー淡路ーー京都線ーー四条河原町駅(19:40)・・四条大橋・・鴨川河原・・・三条大橋・・木屋町通・・阪急四条河原町駅(20:30)ーー淡路ー吹田・自宅(21:40)

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渚の院③

中納言家成なぎさの院したてて 程なくこぼれたれぬと聞て、天王寺より下向しけるつゐでに、西住、浄蓮など中上人ともして見けるに、いとあはれにて、各々述懐しけるに、

折につけて人の心もかはりつつ世にあるかひもなぎさなりけり (『西行上人集』)

Cimg2750淀屋橋から見た風景。淀屋橋は大川(旧淀川)を開削した後できた土佐堀川に架かっている。熊野詣の起点となった窪津(今の天満橋あたり)は、もう少し上流。「なぎさの院跡」のある枚方市へは、京阪電車「淀屋橋」駅からが便利。

※なぎさの院=大阪府枚方市渚(なぎさ)にあった文徳天皇の離宮。後、惟喬(これたか)親王へ伝領。鳥飼より約9m上流。 ※鳥飼(とりがい)=大阪府摂津市。淀川沿いにあり、鳥飼の牧(まき)や鳥飼院があった所。

※なぎさの院=大阪府枚方市渚(なぎさ)にあった文徳天皇の離宮。後、惟喬(これたか)親王へ伝領。鳥飼より約9m上流。 ※鳥飼(とりがい)=大阪府摂津市。淀川沿いにあり、鳥飼の牧(まき)や鳥飼院があった所。 ※西住  ※浄蓮=不詳だが、静蓮法師と云う説もある。静蓮法師とするなら、千載集1015番の作者であり、忍西入道と同一人物の可能性も指摘されている。 ※中納言家成=藤原家成(1107~1154、48歳)。美福門院の従兄弟で、その縁故によって鳥羽院の寵臣になっていたことが「台記」や「愚管抄」に見える。家成は「なぎさの院」を再興したが、どういう理由かわからないが、またつぶしてしまった。

「交野(かたの)」というと現在の大阪府交野市とまぎらわしいが、本来は主として天野川以北の、枚方市北西部の淀川東岸一帯をさし、交野天神社や片埜(かたの)神社に今もその名をとどめている。また、在原業平は、この地にあった惟喬(これたか)親王の別荘、渚の院で「世の中に たえてさくらの なかりせば 春の心は のどけからまし」という歌を詠み、これによって交野は、藤原氏のため皇位につけなかった悲劇の皇子と桜のイメージが結びついて、人々に記憶されることになった。

■役行者霊蹟札所めぐり(菅生寺・すぎょうじ)

Cimg7468背(せ)山。

吉野川を挟んで向かいが「妹(いも)山」。「妹山」は、浄瑠璃や歌舞伎の「妹背山婦女(おんな)庭訓(ていきん)」で知られる山。全山原始林におおわれ、ツルマンリョウルリミノキなどの群落があり妹山樹叢(じゅそう)として天然記念物に指定されている。 ※ツルマンリョウ

Cimg7467吉野川。

吉野川の鮎釣りは、夏の風物詩だった。今は、オートキャンプにおされている。持統天皇(690~697)が31回行幸された、といわれる吉野離宮跡(宮滝遺跡)は、ここからやや上流にある。

終戦63周年・・・謡いの稽古の帰り、神崎川の橋へ通りかかった。2集団が花火をしていた。川面に花火が流れていた。あれ?年のころ70歳ぐらいの男性3人がいる。花火?めずらしいなぁーと思っていたらどうやらちがうみたいで・・。しきりと橋の下をのぞきこんでいる。やがて、提灯(ちょうちん)がゆらゆらと。精霊(しょうりょう)流しか。・・、川から涼しい風が吹いてきた。

■吹田・水墨、墨彩画同好会展(メイシアター1階)

Cimg7486くまの川。

午前中、「水墨、墨彩画同好会展」を見に行った。 昨日通った「国道169号線(東熊野街道)」は、「国道168号線」とともに熊野に通じる道だ。かつての熊野街道と重なる道だ。 オリンピック卓球の女子団体戦は残念だった。「王子サーブ」の記事が今朝の毎日新聞に掲載されていた。大阪市阿倍野区王子町は、かつての熊野街道沿い(阿倍野王子)にあった。上の窪津(渡辺津)は熊野街道(上皇、天皇の参詣道)の起点。 吹田っ子の安田(理大、ガンバ大阪)選手が出場しているサッカーが予選敗退でがっくりしていたら・・・、今日、隣の(大阪府)茨木市石井選手が柔道で金メダル。天王寺中学出身の入江選手は5位(背泳200、近大)。大阪出身のダルビッシュや上原(枚方市)がでているの野球(オランダ戦)はどうなんだろうか? 目が離せない。

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渚の院②

中納言家成なぎさの院したてて 程なくこぼれたれぬと聞て、天王寺より下向しけるつゐでに、西住、浄蓮など中上人ともして見けるに、いとあはれにて、各々述懐しけるに、

折につけて人の心もかはりつつ世にあるかひもなぎさなりけり (『西行上人集』)

Cimg7429四天王寺五重塔。千日まいり。

※なぎさの院=大阪府枚方市渚(なぎさ)にあった文徳天皇の離宮。後、惟喬(これたか)親王へ伝領。鳥飼より約9m上流。 ※鳥飼(とりがい)=大阪府摂津市。淀川沿いにあり、鳥飼の牧(まき)や鳥飼院があった所。 ※西住  ※浄蓮=不詳だが、静蓮法師と云う説もある。静蓮法師とするなら、千載集1015番の作者であり、忍西入道と同一人物の可能性も指摘されている。 ※中納言家成=藤原家成(1107~1154、48歳)。美福門院の従兄弟で、その縁故によって鳥羽院の寵臣になっていたことが「台記」や「愚管抄」に見える。家成は「なぎさの院」を再興したが、どういう理由かわからないが、またつぶしてしまった。

「交野(かたの)」というと現在の大阪府交野市とまぎらわしいが、本来は主として天野川以北の、枚方市北西部の淀川東岸一帯をさし、交野天神社や片埜(かたの)神社に今もその名をとどめている。また、在原業平は、この地にあった惟喬(これたか)親王の別荘、渚の院で「世の中に たえてさくらの なかりせば 春の心は のどけからまし」という歌を詠み、これによって交野は、藤原氏のため皇位につけなかった悲劇の皇子と桜のイメージが結びついて、人々に記憶されることになった。

■君がいた夏ー3部、第44話・部屋ードア・チャイムー

マンションのドア・チャイムを鳴らした。驚いた顔のともひさが、そこにあった。 

「おどろいたなあ、いつ来たんだ?」「今朝、釧路から東京へ」「釧路って、北海道の?」「ああ」「飛行機かなんかで?」「いや、船で」「へぇー、船でね」・・「まぁー、よくここが分かったなぁー」「まあ、勘で」「勘で・・か。昔から勘はよかったからな。ビール飲むか?暑かっただろ」「ビールって、この時間に? あっそうか、どうってことないよね」

ともひさは、冷蔵庫から缶ビールを取り出し、義清が坐っているテーブルの前に置いた。

■役行者霊蹟札所めぐり(菅生寺・すぎょうじ)

Cimg74851蔵王堂(吉野山)。菅生寺最寄の・「大和上市(かみいち)」駅正面から。春はピンクで彩られる。

江坂(7:50)-地下鉄・御堂筋線-天王寺=近鉄・阿部野橋駅(8:20)ーー急行(吉野行き)ーーーー大和上市(9:50-10:00)※9:54発のバスが来なかったので、臨時バスがでる。→奈良交通バス→→津風呂湖口(10:15)・・徒歩4km・・・菅生寺(11:15-12:00)・・・徒歩7.3km・・・近鉄・大和上市駅(13:12)--急行ーーー阿部野橋駅(14:40)---江坂(15:10) 

Cimg7477_2菅生寺(すぎょうじ、奈良県吉野郡吉野町平尾150)。

桜の季節とうってかわって、電車はがらがら。しかし、大和上市あたりは単線なのか、向こうから電車が来るたびにしじゅう止まる。ようやく駅に着く。 駅から2番(湯盛温泉杉の湯・樫尾)のバスに乗った。ほぼ満席。「津風呂湖口」のバス停で降りる。国道169号線を戻るかたちで、「河原屋」の交差点を北に歩く。県道28号線を3kmほど歩くと、「菅生寺」の看板が見えてくる。案内看板に従って左折、2分ほどあるくと寺に着く。

■北京オリンピック男子バレーボールの試合(日本ー中国)・・・中国チームに「サイ ギョウブン」という選手がいて、日本のアナウンサーが、「サイギョウ、・・」。「ん、西行?」。驚いた。結果は、2セットととられて2セット取りかえしたものの、逆転にはいたらず、2-3で負け。残念。 ※「サイギョウ」にリンクしている西京区は「サイギョウ区」ではなく、「にしきょう区」です。

                

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渚の院①

中納言家成なぎさの院したてて 程なくこぼれたれぬと聞て、天王寺より下向しけるつゐでに、西住、浄蓮など中上人ともして見けるに、いとあはれにて、各々述懐しけるに、

折につけて人の心もかはりつつ世にあるかひもなぎさなりけり (『西行上人集』)

Cimg4637四天王寺(大阪市天王寺区四天王寺1-11-18)。西門。聖徳太子が四天王寺を建立したのは593(推古天皇元)年。その後平安期に入り、浄土教が浸透していくなかで、西方浄土への日想感(にっそうかん)の修行とともに、西行・慈鎮・法然上人・後白河法皇・藤原家隆らが訪れた。

※なぎさの院=大阪府枚方市渚(なぎさ)にあった文徳天皇の離宮。後、惟喬(これたか)親王へ伝領。鳥飼より約9m上流。 ※鳥飼(とりがい)=大阪府摂津市。淀川沿いにあり、鳥飼の牧(まき)や鳥飼院があった所。  ※西住  ※浄蓮=不詳だが、静蓮法師と云う説もある。静蓮法師とするなら、千載集1015番の作者であり、忍西入道と同一人物の可能性も指摘されている。 ※中納言家成=藤原家成(1107~1154、48歳)。美福門院の従兄弟で、その縁故によって鳥羽院の寵臣になっていたことが「台記」や「愚管抄」に見える。家成は「なぎさの院」を再興したが、どういう理由かわからないが、またつぶしてしまった。

「交野(かたの)」というと現在の大阪府交野市とまぎらわしいが、本来は主として天野川以北の、枚方市北西部の淀川東岸一帯をさし、交野天神社や片埜(かたの)神社に今もその名をとどめている。また、在原業平は、この地にあった惟喬(これたか)親王の別荘、渚の院で「世の中に たえてさくらの なかりせば 春の心は のどけからまし」という歌を詠み、これによって交野は、藤原氏のため皇位につけなかった悲劇の皇子と桜のイメージが結びついて、人々に記憶されることになった。

■トホホ

Cimg7409鱧(はも)、ゴーヤなどのてんぷら。

午後から、済生会・吹田病院で定期受診。身体の方は異常なしということでこれはよかったのだが、自転車の後輪の調子が悪かった。自宅を出たとこで異常に気がついた。だが、予約の時刻がせまっている。そのまま走り続けた。しだいにペダルが重くなっていく。受診を済ませ、自転車屋さんに直行。思いのほか時間がかかった。「大きな穴があいていました」「ああ、たぶん、いたずらされたんですね」。パンク修理だけなら300円なのだが、チューブ交換で、2400円かかった。・・ああ!とほほ!

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謡曲・高砂の旅30

冴えわたる浦風いかに寒からむ 千鳥むれゐるゆふ崎の浦 (山家集 西行)

Cimg4607住吉大社。 「高砂やこの浦舟に帆をあげて、--略ーー波の淡路の島影や遠く鳴尾の沖過ぎてはや住吉に着きにけりはや住吉に着きにけり」。有名な一説である。昔は、結婚式を前に、この謡いだけを習いに来られた人も多かったという。「井筒」とともに、かつては、結婚式で謡われた代表曲。  ※鳴尾(なるお)=兵庫県西宮市鳴尾。かつて、白砂、青松の景勝地。山家集にも登場する。甲子園球場に近く、鳴尾球場は豊中球場とともに高校野球の発祥地の一つ。

上の歌碑は、曽根天満宮(兵庫県高砂市曽根町)の霊松殿に近い方にある。曽根天満宮は山陽電鉄曽根駅前(JR山陽本線曽根駅とはかなり離れている)の北側真正面にある。立派な構えを持つ神社で、門を入ると右側に歌碑玉垣が並んでいる。宮司曽根文省氏はまだ若い人だが、なかなかのアイディアマンらしい。以前の玉垣がこわれたので新しく取り替えることになったが、単に氏子の名前を書くだけでは面白くない。郷土に因む歌を刻んだ玉垣にしたいという宮司の意向により、氏子の協力を得て実現したものという。

この西行の歌は『山家集』に「冬の歌十首をよみける」としたうちの一首である。「ゆふ崎の浦」については、多くの注釈書が備中国(岡山県)浅口郡木綿崎、現在の勇崎かとしている。岡山県の勇崎といえば現在の倉敷市玉島である。歌碑のある曽根からは少し離れ過ぎている気がする。西行には野中の清水などを詠んだ歌もあるのだが。(2008年1月6日、旅する。)

■君がいた夏ー3部、第43話・神宮前マンションー

東京港、竹芝ふ頭についた。JR、地下鉄を乗り継いで、神宮前駅に着いたのは午前10時頃だった。 花屋によって花を買った。花を手に、 神宮前町で、義清は途方にくれた。ともひさからの手紙にはマンションの名は書いてなかった。

あきらめかけたが、せっかく来たのだし、辺りのマンションをあたることに決めた。          運良く、最初のマンションの郵便受けにともひさの名があった。

■墓まいり・・・あまりの暑さで、墓そうじ・花をいけ・お祈り・・・を済ませ、墓地以外はどこへも寄らず早々に帰る。

Cimg7453淀川河川敷、牧野パークゴルフ場前(大阪府枚方市西渚町付近)。淀川を挟んで向かいが大阪府高槻市。 写真の山は、天王山らしい。

自宅(13:00)-阪急・吹田駅ーー淡路ーー高槻市駅=レンタサイクル~~~高槻市公園墓地~~~阪急高槻市駅ーー淡路ーー阪急吹田駅ー自宅(15:45)  ※阪急高槻市駅の所に万葉コースとして「三島江」の事が書かれていた。「三島江」は山家集にも出てくるが、もっと古く、万葉の歌枕として有名だったと書かれていた。 宝塚歌劇団の演目の一つに「花の業平ー忍ぶの乱れ」がある。『伊勢物語』の世界を、優雅にドラマチックによみがえらせた柴田侑宏脚本の名作である。業平(香寿たつき)と(藤原)高子(渚 あき)は、芥川(あくたがわ・高槻市内を流れる川、一帯。上流は鮎、ほたるの産地。ポンポン山の大阪側の下山口。)へ駆け落ちする。芥川が淀川へ流れ落ちる所が「唐崎」で、「三島江」とは隣どおし。

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